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FIGHT BREAST CANCER
〜歌う乳がんサバイバー

O野K子の場合

仕事を言い訳に何年も検診を受けていなかったO野K子。ある日、胸に違和感を感じ、ようやく休みを取って病院を予約したところ

自分の健康について無頓着だった私。
2017年5月に乳ガンと診断され、現在治療を行っています。

このブログは、乳ガンについて全く無知だった私が、治療を行うにあたり経験したこと学んだことを、【O野K子】という名前でまとめ直したものです。

私は「がんサバイバー」と言う言葉について、自分が病気をする前は、がんを克服して長く生きていらっしゃる方のことだと思っていました。

しかし、「がんサバイバー」という言葉が生まれた海外では30年ほど前に、がんと診断された人を、治癒・再発を区別せずに、現在、生きていらっしゃる方を「がんサバイバー」と呼んでいるそうです。

医師の説明や書籍だけでなく、同じ病気をしている先輩方のブログでもたくさん勉強させて頂いています。

同じ病気でも、副作用や生活は人それぞれ。
乳ガンと治療、そしてがんサバイバーの生活について、自分の学んだこと、経験したことをまとめることで、今度は私が少しでも誰かの参考になれれば嬉しいです。

第1章 診断

第1章 診断

第1話【乳腺外来】

2017年5月25日 

「社長、急で申し訳ありませんが明日、午前休をください。」

4月の最後の木曜日、私は社長の顔色を伺いながらこの何日か気になっていたことを一気に話した。

数日前、シャワーを浴びている時に右胸にシコリがあることに気付いたからだ。
忙しいから、と体のことはついつい後回しにしてしまい、私はもう何年も婦人科検診を受けてない。

「乳腺症だと思われます。
心配はないと思うけど、定期的に検診は受けてくださいね。」

最後に検診を受けた時そう言われていたが、社長と私しかいない小さな会社では休みが取りづらかったことと、やはり検診で行うマンモグラフィーの痛みを思い出すと、何だかんだ理由をつけて逃げていた。

また痛い思いをするかと思うと乗り気ではなかったが、今回は病院に行ってみようと思った。

翌日はどんよりとした曇り空だったが、自宅付近でいかにも女性がくつろげそうな綺麗なAレディースクリニックをすんなり予約できたこと、
朝は少しだがいつもよりゆっくり眠れたことにむしろ心は軽かった。

「今回も乳腺症、心配ない。とっとと終わらせて事務所に向かおう。」

初めてかかるそのAクリニックは朝から混んでいた。
受付で初診であることを告げ待合室の空いている席を探していると、
パソコンの予約内容を確認していた人の良さそうな係りの女性が
申し訳なさそうに私の名前を呼び、ちょっと困ったような、
でもしっかり伝えなければ、と言う表情で話かけてきた。

「O野さん、ご自分でシコリが認識出来るんですね」

「はい。もうずっと検診受けてなかったのもあったので、
ようやく重い腰を上げた次第です。はは。」

私は叱られる前に白状してしまえ、とばかりに長いこと検診をサボっていたことも笑って付け加えた。

けれども彼女は真剣な顔で、声を潜めて話を続けた。

「ご自分で認識出来るなら、多分、シコリはあるんだと思います。
でもそうなると、乳腺外来がある病院でないと詳しく検査出来ないんです。ここで診察受けて頂いても、うちの先生も紹介状を書くしか出来なくて。そうなるとお金だけ掛かってしまうので、最初から乳腺外来のあるところで受けられた方が良いですよ。」

『乳腺外来』

そうだ。水曜に電話で話した母が確かそんなことを言っていた。

「乳癌検診で要精査と言われた場合や、明らかに乳房に異常を感じた場合に受診するところは婦人科ではないのよ。間違えないでね。」

普段から話を半分しか聞いていない、とよく叱られるのだが
今回も大事なことが抜けていた。

今回の予約はキャンセルにしておきますから、と見送ってくれた受付の方に私はお礼を言い、クリニックを出ると同時にスマホで乳腺外来のある病院を検索した。

 

第2話【紹介状】

出来れば休みをもらった今日中に診察を受けたい。
改めて休みをお願いするのは、色々と面倒だ。
でも近くにあるだろうか。あっても予約が取れるだろうか。

祈るように検索エンジンに「乳腺外来」と希望の地域を入力した。

「あった。B医院」

ラッキーなことに駅の向こう側にあった。
早速、電話してみるとベテラン風の明るい女性の声が聞こえた。

「どうされましたか?」

私は数日前に気付いたことと、今日の経緯を話した。

「それなら当院の受診ですね。今日の予約を入れますので、お名前をフルネームで頂けますか」

「O野K子です」

「あら、O野さん?この前いらっしゃたばかりですよね。」

「いえ、初めてです」

少し間があった。何かガサガサ書類をめくるような音が聞こえた。

「申し訳ありません。では生年月日もお願い致します。」

ついさっき自分も受診科を間違えたので人のことは言えないが随分とおっちょこちょいな人だ。

午後の診察が15時からだったので、私は急いで事務所に戻り、
昼食を片手に仕事をやっつけ、事情を説明して早退させてもらった。

少し早めに着いたB医院は賑やかなK商店会を抜け、静かな住宅街が始まるところにあった。
広めの待合室には他の受診者はまだいない。
ガランとして静まり返った待合室の窓から見える曇り空に、朝とは違って私はなんとなく憂鬱を覚えた。

自分のミスだけれどバタバタして疲れた。
でももう少しで終わる。

「身内に乳癌経験者がいるのに定期健診を受けていなかったのかい?」

半ば呆れたような声を出したB院長は、50代くらいの男性の先生で、すぐにマンモグラフィーとエコー検査を始めた。

マンモは何回か更衣室から呼び戻され角度を変えて撮影をした。

その度に胸を挟まれ痛い思いをするわけで、何のために今まで色々理由をつけて検診を避けてきたのか考えるとちょっと情けなかった。
こんな思いをするくらいなら来年からはキチンと受診しよう。

通常であればこんなに何度も撮影することはないはずだ。

なんとかかんとか検査と着替えを終えて待合室でほっとしている時に、
ふと院内の貼紙が目に入った。

『シコリや痛みのすべてが乳癌とは限りません。
一人で考え込まないで、きちんと病院で検査を受けましょう』

そんなような内容だったと思う。

100人シコリが見つかっても最終的に乳癌と診断されるのは5人もいない、と昔、聞いたような気がする。
私もそうだ。くじ引きだってあたらないのだ。
そんな確率の少ないものにあたるはずもない。気楽に考えていた。

「右にシコリがあると言っていたけれど、左にもあるの、自覚ないんだね?」

検査の写真を見ながら先生が言った。

「はい。言われるとエコーの時にちょっと違和感を感じましたが…」

先生はその問いに対してすぐには反応せず、写真を見ながら頭の中で何かをまとめているようだった。そして続けた。

「そうですか。右側のシコリも左側のように、もう2年早く見つけられると良かったです」

今回も乳腺症と言われるだろうと信じ切っていたからか、疲れてしまっていたからか、先生が何を言っているのか、すぐには理解できなかった。ただ、早く安心して帰りたい。

私は先生の言葉の意味を確認しようと、座り直し身を乗り出した。
その時、すでに作成されていた診断書の文字が見えた。
そしてようやく自分の状況が理解できた。

『両側乳癌の疑い』

泣いていたのだろうか。あまりに想定していなかった事態に言葉が詰まってなかなか出てこない。
先生はうちの病院でも治療出来るが、身内がかかっていた病院が良ければ紹介状を書く、どこの病院か、
と聞いているようだったが展開が早すぎて頭がすぐに反応できない。

看護師さんが落ち着くまで、と別室に案内してくれた。
少し時間をもらい母に電話をし、同じ病院に行くべく病院名と主治医の名前を確認した。

2017年5月25日

第3話【患者確認】

希望のC大学病院はB院長の出身病院だった。
母が治療していたのは25年も前だったので、主治医は定年退職されていたが、院長は懇意の医師に電話をかけてくれた。


初診は4日後。
気持ちも落ち着き、私は何度もお礼を言って、紹介状とマンモグラフィーの写真を持ってB医院をあとにした。

C病院初診の日、私は母に同行を頼んだ。
先日のようにコトがどんどん進んでは、今の私には予備知識があまりになさすぎて不安だった。

待ち合わせた母の顔色は私より悪いように見えた。
昨日は眠れなかったらしい。
今日母に同行を頼んだことを私は少し後悔した。

初診受付カウンターへ紹介状と必要資料を提出して待合室の席に腰かけると間もなく名前を呼ばれた。

随分早いな、と思った。

「確認なのですが、当院の受診は初めてですか?」

「はい。初めてです」

「○○クリニックの受診はありますか」

「ありません」

「××センターの受診はありますか」

「ありません」

「分りました。生年月日をお願いできますか」

生年月日を告げると、ではカルテと診察カードを作りますのでお席でお待ちください、とのこと。
受診歴の有無を聞かれた医院は全てC病院の関連機関だ。
初診問診票にもその旨、記入したはずなのだが。

受付のやり取りを腰かけて見ていた母になにごとか、と問われ説明しようとした時、ふと、初めてB病院を予約した時の会話を思い出した。

『あら、O野さん。この前いらっしゃったばかりですよね』


『いいえ、初めてです』

その時、もしかして、とある考えが頭をよぎり、ドキリとした。

数分後、改めて受付で名前を呼ばれ手渡された真新しいプラスチックの診察カードが、私のもしや、が当たっていたことを示した。

そこには赤い文字で印字されたシールがしっかりと貼り付けてあったのだ。


『同姓同名あり』

2017年5月26日

第4話【針生検】

担当のC 先生は、50代の女性の先生で、診察室の扉を開け一見した時、仕事のできそうな人だと感じた。

「こちらの拙い言葉がうまく伝わるだろうか」

という不安を抱いたが、私自身について、社会生活について、検査についてを話して合っているうちに、私の気持ちを、私が発する言葉以上に察して頂ける先生で良かったと、ホッとできるようになった。

それでも先生は、やはりやり手なのだろう。
優しい声と厳しい声をしっかり使い分け、もの凄い勢いで検査室に検査予約を入れてくれた。


当日は、正直またやるのか、と気分がゲンナリしたマンモグラフィーと
エコー検査を再び受け、別日に胸のMRIと針生検を行うことになった。

MRIは造影剤を注射しての撮影になった。
うつ伏せになり、乳房だけを穴に入れた状態で機器の中に入る。
姿勢が意外ときつい。それ以上に轟音が強烈で、機器の中は狭い。

普段なら一緒に歌ってしまうだろう、ジブリのテーマソングが
色々と流れているヘッドフォンを技師さんが装着してくれたのだが
ほとんどかき消されてしまい、遠くから時々うっすらと聞こえるような感じが、なんとなく不安になってしまった。

その後、私が受けた針生検は、太目の注射針のような針を局部麻酔した患部に刺して、内刃でしこりの細胞組織を回収するというものだった。

細胞を切り取る時、「パチン」という爪きりで爪を切るような音がした。
麻酔をしていたから当然、痛みはないが出血しているので看護師さんが止血してくれる。
始める前は緊張していた。
でもC先生も看護師さんもリラックスさせてくれたので終わる頃には
なんだか珍しい経験をして楽しんでいる自分がいたが、検査を終えた着替えのカーテン越しに

「最短1週間で結果を出すからね。来週には確定診断が出ます。そのときはお一人で来る?ご家族といらっしゃる?」

と先生に言われて、現実に引き戻された。

これは単なる健康診断ではないのだ。

針生検のあと、急遽、頭、腹等のCTも追加で撮影しておきましょう、との先生の言葉で、転移の可能性という言葉が頭をよぎった。

2017年6月1日

第5話【インフォームド・コンセント】

乳癌疑いの診断が出てから3週間が経とうとしていた。

確かに胸のシコリは認識しているが、それ以外に体調の異変は感じない。
むしろ元気なくらいだ。本当に乳癌なのだろうか。
なにかの間違いではないのだろうか、と一瞬思う。

しかし数分後には、もし癌の場合、どの程度進行しているのだろうか、
手術の度合いや治療に掛かる費用はどれくらいかかるのだろうか、
といった不安がグルグルグルグル毎日回り続けた。

あと数日で確定診断が出る。
そうすれば例えどんな結果が出ても、グルグル回り続ける不安の回し車をひたすら歩き続ける毎日が終わる。
むしろ解放されてすっきりするんじゃないだろうか。

そう考えたとき、昔見た伊丹十三監督の【大病人】という映画を思い出した。
この映画の主人公は当初、主治医に末期癌であることを告知されず、「胃潰瘍」として治療を受けるのだが、入院中に知り合った癌患者との会話で自分が末期癌であることを知ってしまう。物語の中で、

「医者のために患者がいるんじゃない、俺の体のためにお前のメスがあるんだ!」と、主人公が主治医に向かって叫ぶセリフがあった。

今まで私は自分の健康については無頓着だった。
もっというと自分自身について無頓着だった。
それは周りの人の顔色ばかり気にする性格からなんとなく自分の気持ちや考えを引っ込め続けてきたせいなのかもしれない。

「インフォームド・コンセント」という言葉は聞いたことがある。
病状や治療行為について医師から納得いくまで説明を受け、治療を受け入れるか否かについて医師と患者が合意することだ。
これは説明を受ける患者の私にも基本的な知識と、なにより自分の治療については自分で決める、という
意思がなければ成り立たない。

勉強してもすべて理解はできないかもしれない。
でも知らなければ、自分が分からないこと、疑問と思うべきことにさえ気付かないだろう。
そして今回は自分自身の健康のこと。命のこと。
今までのようになんとなく流されていく自分ではダメなのだ。

数日後の確定診断の際に私はC先生の説明をきちんと理解し、自分で判断しなければならない。
ただただ不安の上を歩き続けている場合じゃない。
ふと、やるべきことに気付いて足を止めた時、延々と続くと思われた回し車から私はようやく降りることが出来た。

2017年6月14日

第6話【診断確定】

第6話【診断確定】

確定診断の日は朝から空模様が怪しかった。
診断は15時からだったので、ギリギリまで事務所で仕事を片付けてから
病院へ向かう頃には、外は雷と大雨で荒れていた。

それでも私自身の気持ちは、
この数日の「勉強」でかなり落ち着いていた。

そもそも癌は手術や抗がん剤治療、放射線治療をしても
見えない癌細胞があとから再発、というかたちで
出てくる場合があるので【完治】の判断は難しいらしい。
この残っていた癌細胞が再発する期間の目安が5年とされているのだが、
それでも乳ガンは他の癌に比べて
早期に発見出来れば5年生存率が高く予後が良い病気と言われている。

事実、今日結果を一緒に聞くために病院で待ち合わせをしている
私の母は25年前に闘病を経験している癌サバイバーなのだ。
このことは私にとって大きな拠り所になった。

あとは自分の病期と治療法だ。
治療には、お金がかかる。生活もある。
できる限り私は働いていたい。

「まずね、正常な左の写真から見てもらった方が分かりやすいかな」

マンモグラフィーの画像を見ながら、C先生が優しい声で説明を始めた。

(と、いうことは右は正常でないのだろう。)

ひょっとしたら間違いかも、というわずかな希望はそこで捨てた。

(今の私なら大丈夫。)

一度ギュッとつぶった目を開けると
これから説明してくれるであろう机上の診断書が見えた。
私はその文字を自分でも驚くほど冷静に翻訳した。

T2N1M0 ステージ:ⅡB

つまり、

【2cm~5cmほどのしこり。腋下転移あり、遠隔転移なし】

2017年6月14日 

第7話 治療計画

第7話【治療計画】

【浸潤性乳管癌】

乳房には「乳管」と呼ばれる管(母乳を運ぶ管)と
その先に母乳を作る「小葉」がある。
これが乳頭を中心に放射線状に
15~20個ほど集まっている組織が
「乳腺」と呼ばれるもので、乳ガンの多くは
この「乳管」に発生するという。

「浸潤性」とは、癌細胞がこの乳管の壁を破って
外へ出てしまっている状態で、リンパ管や血管の中に入って
全身に転移する可能性があるということだ。

私の場合、小さいが3つほど脇の下に転移しているという。

「K子さんの癌のタイプはね、増殖力が強くて早いの」

先生は進行の具合を示す【ステージ(病期)】のあとで
癌細胞の性質や増殖力を示す【サブタイプ】について説明を始めた。

癌の性質を確認するには病理検査で次の項目をチェックする。

1.ホルモン受容体の有無
→女性ホルモンの影響を受けて増殖するタイプか否か

2.HER2(ハーツー)過剰発現の有無
→HER2タンパクが過剰であるか否か。

3.Ki67の値
→癌細胞の増殖の早さ

素人の私にも分かるように
かなり噛み砕いた先生の説明によると、私の癌は

「女性ホルモンを食べるだけでなく、
他のエサも食べるタイプですごい勢いで大きくなる」

【ルミナルB型 HER2陽性】

なのだそうだ。

転移している、と言われても割と落ち着いていたが、
進行が早い、と言われて私は笑ってしまった。
身体の中の癌細胞が、
<雑食で、早食いで、すぐ太る>自分に似ているな、
と一瞬、思ってしまったのだ。

「淡々と説明を聞いているけど、大丈夫?ここまで分かる?」

精神的ショックのほうは大丈夫だった。
ここで泣いても結果は変わらない。
ならば先生の説明をしっかり聞かなければ、という気持ちがあった。
事前に勉強していたが、全くの素人が一から勉強しているのだ。
【サブタイプ】についてまでは勉強が追い付いていなかったので
予定している治療法について集中して話を聞いた。

エストロゲン受容体(ER)、プロゲステロン受容体(PR)がある人は、
女性ホルモン(エストロゲン)が結合し癌細胞を増殖させてしまう。
であれば、薬でエストロゲンの働きを鈍くしたり、
産生を抑えてしまえ、というのが<ホルモン療法>

私はPRは少なかったがERが高かった。
どちらか一つでも該当するなら陽性、ということらしい。

HER2というのはちょっと難しかった。
正常であれば「HER2タンパク」とは細胞の増殖調節に関与している
ものなのだが何らかの変異が起こるとがん遺伝子になる。
「HER2タンパク」が異常に多いことを「過剰発現」、
で、その「過剰発現」になると癌細胞に「増えろ!増えろ!」と
命令して癌が大きくなってしまう、ということらしい。
今まではHER2があると転移や再発しやすいので予後が悪い、
とのことだったが、最近では「ハーセプチン」という薬があり
かなり効果があるらしい。
一般的な抗がん剤は、正常な細胞まで攻撃してしまうが、
この「ハーセプチン」は、ターゲットのHER2を狙い撃ちできる。
これが<分子標的薬療法>
なのだ。

私のガンの状態は決して楽観視できるものではないが、
だからこそ薬の効果も期待できるように思われた。

C先生は術前に7か月ほど、抗がん剤、分子標的薬療法で癌細胞の制御を行い
その結果で手術の度合いを判定、その後、放射線治療、ホルモン療法を行うことを提案した。

どんなに頑張って勉強しても、
手術そのものに対する心の準備はまだできていなかった。
だから薬が効いて乳房温存手術の可能性があるならありがたい。
私は先生の提案通り治療することに同意した。

診断を聞き治療計画を決めて病院を出る頃には
雨は止み、荒れていた空は穏やかになっていた。

2017年6月16日 

第2章 治療準備

第8話【職場への報告】

第2章 治療準備

治療方法は決まった。
なるべく早く治療を開始したほうが良い、と先生に言われたが、
副作用がどれだけ出るか分からない。
来週末に控えている大事な仕事のチャンスは、今の状態で挑戦したい。
結局、2週間後に最初の投薬をすることになった。

治療の開始時期が決まったので、次にすべきことは職場への報告だ。
仕事を続けながら治療を行いたい、という希望をC先生に伝えたとき、
大丈夫、そういう患者さんは多い、と言っていた。

『K子さんはね、たぶん副作用大丈夫だと思う』

最近は副作用を抑える薬が良くなっていること、
また体質的に、性格的に、副作用が出ない人も時々いるらしい。

『私の経験的に、あっけらかん、としている人って副作用が大丈夫って人が多いのよね』

本当かな。でもそれなら嬉しい。

体調を見ながら薬を調節する、とのことだったのでひとまず職場への報告は、3週間に一度の投薬日はお休み又は早退をさせてもらえるようにお願いしよう。
今まで健康管理に無頓着だった私は恥ずかしながら医療保険に入っていない。
そろそろ入らなきゃかね~、と思っていたくらいだ。
貯金もそれほどない。
そしてこの職場は私と社長しかいない。
病気だから今すぐ仕事を辞める、というわけにはいかないのだ。

問題はもう一つの仕事だった。
私は8ケ月前からダブルワークをしていた。
昼間は事務職、夜はパートで接客の仕事だ。
正直、夜中まで立ちっぱなしの仕事は、
年齢のせいか、思っていたよりキツイと感じることもあった。
抗がん剤治療を開始すればさらに体力は落ちるだろう。
髪や眉毛が抜ければ見た目はどれだけ変わるだろう。
自分の気持ちもどうなるか心配だった。
収入が減るのは怖かったが、
今は、続ける自信があるのかないのか分からない。

検査を受けていることは事前に主任のDさんに話をしていた。
Dさんは私の3つ下の中国人女性だ。
夜のパートは退職させてほしい、と話をした。

「O 野さんのコト、全力で応援するよ。これから体、大変だけど、お金もかかるでしょ。今すぐ辞めるんじゃなくて、ちょっと休みってコトにして籍は残しておくよ。上の人には相談しておいた。少なくとも私がいる間は、元気な時だけでも稼ぎに来たらイイよ」

ありがたかった。
周りの人には迷惑を掛けてしまうが、少し様子を見てみることができる。

私はダブルワークの職場の仲間や先輩には、
自分の病気のことを話した。
余計な心配を掛けてしまうかもしれないが、だいぶ身勝手なシフトになってしまう。
それで許してもらおうというわけではないが、説明はしておきたい。
そして何より、本当に続けていくことが出来ない、となった時に
ちゃんとご挨拶できるかも心配だった。
自分が休んでいる間に他の仲間もいろいろな事情で退職して
会えなくなっている場合もあるだろう。
まだ8ケ月しか経っていないが、忙しい職場だったのでわりと早い段階で私は「仲間」という意識があった。
せっかく一緒に働いた人たち。
とりあえず後悔をしないように挨拶はしておきたかった。

さすがに驚かれてしまったが、
「分った。こちらは大丈夫。
というか、今まで無理しすぎなんだから、
今回はちゃんと体調第一で治療してね。
きっと大丈夫だから。でも、戻ってきてよ!!」
と声を掛けて頂いた。本当にありがたかった。

2017年6月16日 

第9話【高額療養費・限度額適用認定証】

「その診断結果と治療法でO野はいいのか?セカンドオピニオン受けなくていいのか?その病気なら◎病院がいいぞ」

受話器のむこうから懐かしい声が矢継ぎ早に質問してきた。
職場との調整が済んだ時
昔、一緒に働いていたEさんを思い出して電話をかけた。
職場の人は知らなかったが、彼も病気を抱えながら働いていたのだ。
それをたまたま私が知ったきっかけは忘れてしまったが、
病院や高額な治療費についての対応方法についての知識には
当時、驚いた記憶がある。

セカンドオピニオンについては家族からも何度も確認された。
今はセカンドオピニオン外来という専門の外来を
用意している病院もある。

順序で言えば、今後の治療方針の同意をする前に、
セカンドオピニオンの希望を伝え、今までの検査資料をC病院から借りて
改めてセカンドオピニオンの診察予約を入れることになる。
同意したあとでも自分に迷いがあれば、申し出ても良いと思うが
時間がかかってしまう。
だから、セカンドオピニオンをするならば、診断結果を待つ間に
他の病院のあたりはつけておくのが良かったのかもしれない。

けれどこの頃には、しこり自体がだんだん大きくなって
痛みも感じるようになっていた。
急いで治療を始めたほうが良い、という先生に
頼み込んで開始も遅らせている。
なによりC先生とのやりとりで感じた、
先生への信頼が私の中で大きかった。
私の中では、今、別の先生の意見を聞きたいという思いはなかった。

「うん、ありがとう。でも今の先生と決めた治療法で私は納得してる」

意外と私が頑固なことをEさんは知っている。
O野が良いなら、とその話はそれで終わった。

「治療費は大丈夫なのか?」

大丈夫ではない。かなりの大打撃だ。

「高額療養費と医療費控除は利用しようと思ってる」

治療準備でまず最初にやったのは医療費対策についての勉強だった。
私は国民健康保険に加入しているから、
通常は窓口で3割負担の医療費を支払っているが、
1か月の自己負担額が所得区分の基準額を越えた医療費については、
申請をすればあとから払い戻されるのが高額療養費制度
だ。
私はC病院での治療費と院外処方の薬代などをまとめて高額療養費で申請し、この対象にならない通院にかかった交通費などは年度末の医療費控除で所得税の還付を受けようと考えていた。

「高額療養費だと一時的に自分で立て替えなきゃいけないから、それが大変でしょうよ」
「うん」
「限度額適用認定証は調べたのか」
「ん?」

いろいろやっているつもりでもやっぱり私は詰めが甘い。
ただ本当に周りの人には恵まれている。

確かに高額療養費の申請では申請して払い戻されるまでに3か月ほどかかるらしい。
入院手術を考えるとかなりキツイと考えていた。

Eさんいわく「限度額適用認定証」とは予め手続きをして入手した
「認定証」を病院の窓口に提示すれば、窓口で自分が支払う医療費は、
高額療養費制度の自己負担限度額までにとなるとのこと。
立て替えなくて良いし、何より具合の悪い時に申請書を記入する必要がない。
あとで詳しく調べたところ、同一病院でも外来と入院では
別計算になるらしい。それでもありがたい。

「さすが、Eさん!ありがとうございます!」
「いやいや。ところでパートナーは元気か?ちょと話したい」

隣で電話のやり取りを聞いていたパートナーに電話をかわったところ、10分近く話しこんでいた。

『O野が頑固なので、セカンドオピニオンを本当に受けなくて良いのか
是非、君からも説得してくれ』
『そうなんですよ、自分からも言っているんですが《必要ない、必要ない!》の1点張りで困っちゃって』

という私の【頑固話】をしていたらしい。

2017年6月22日

第10話【禁酒禁煙・食生活】

経済的な心配については、Eさんのおかげでひとまず落ち着いた。
であれば治療に向けた身体の準備に入ろうと考えた。

まずは自発的に食生活の見直し。
正直言って今までの私は「白飯と肉・白飯と肉・白飯と肉」生活だった。
野菜やフルーツは嫌いで、酒とたばこもやっていた。
偏った食生活はどんな病気でも良いわけがない。

山盛りの白飯をかなり減らし、最近流行っているというパワーサラダ(風)を取り入れた。
ビタミン、ミネラル、食物繊維、タンパク質に脂質などの
栄養素を無理なく摂取することができるというパワーサラダ。
たんぱく質50g、野菜は175g、果物は100g程度と
作り方にポイントがあるらしいのだが、そもそも大雑把な人間が、
「こんな感じか?」で作っているので、「風」。
それでもおいしかった。
今までの食生活の反省とこれからの治療を耐えるための危機感からか
身体の中心が「野菜をくれ!野菜をくれ!」と叫んでいた。

ちなみに写真はサーモンとアドガドサラダ丼。
野菜はオクラ・ブロッコリースプラウトやトマト、レタスなど
適当なのだけれど、とりあえず彩りに注意して作ってみた。
マヨネーズをちょっと丼の上にかけて、わさびを溶かした出汁醤油で頂く。

山盛りご飯は「白飯愛」がそうさせていたのだが、
最初にサラダを食べると、少ない白飯量でも満たされた。

そこに、今までビールでお腹が一杯になるので
自分はあまり飲まなかったお味噌汁をプラス。
パワーサラダに飽きたら、野菜一杯の「食べる味噌汁」にした。


病気だから、といっても大雑把で面倒臭がりの性格は
そうすぐには直らないので、できるところから始めてみる。

酒とたばこは、いろいろ調べた結果、自分の中で
乳がんに関してはやはりリスクが大きいという結論が出た。

たしかにこの数年の酒量は自慢ではないがハンパではなかった。
飲みたくて飲んでるわけではなくて、イヤなことがあると
それを忘れるためにベロベロになるまで飲む、という感じで
酒が入ると自然にたばこが欲しくなる、という具合だった。
ストレス解消で飲んでいるつもりが、翌朝の気持ち悪さと
自分の性格の弱さに、ひどい自己嫌悪に陥っていて、
最近では、好んでみる海外ドラマでよく聞く
「断酒会」について興味を持っていた。

「これを機に酒とたばこはやめます。抗がん剤治療が始まったら」

「はぁっ?」

なぜ、今すぐやめないのか、という
至極もっともな怒りを含んだパートナーの反応。
けれどもすぐにやめられるのなら、とっくにやめているのだよ。
そういう意味では禁酒薬や禁煙薬と同じ考え方で、
抗がん剤の副作用が出て、とても欲しくならない、という
タイミングで止めるのがベストだと思う、と言った。

パートナーとは一緒に住んで7年経つが、
その時の「はぁっ?」はこの先ずっと忘れないだろう。
こういう顔もするのか、私が愛おしいと思っていた顔は
意外と面白い顔だったんだな、と考えていることに
気付かれたら更に怒られると思ったので
量はもちろん、減らします、という言葉を添えて
私は歯医者に行く予定も話した。

「それは良いと思う。抗がん剤治療が始まったら口の中も
口内炎が出来たりして、食事や会話も大変になるっていうし、
今のうちにできるだけ口の中はきれいにしておいたほうがいいよ」

治療しかけで放っておいた虫歯があった。
たばこも吸っているので、そろそろ歯の汚れを取りにいく時期でもあった。

いつも行く歯医者さんに事情を説明した。
そういうことならよく見ておきましょう、ということだったのだが
虫歯を治療したあとの詰め物が、最初の投薬までに間に合わないことが分かった。

「副作用、結構大変と聞きますからね。始まったら歯科治療どころじゃなくなるかもしれないなぁ。
とりあえず歯はきれいに磨けているようなので、今日はできる限り
クリーニングしておきましょう。あとは治療が始まって様子みて
また来てください。あ、たばこはやめてみるのが良いでしょうねぇ。」

痛みや苦しみがなくなるとすぐに忘れて別のことに気を取られてしまう私。
虫歯治療を放置していた自分を後悔した。

2017年6月22日

第11話【身辺整理】

今思いつく限りの治療準備はできたと思った。

「限度額適用認定証」については、私は国民健康保険に加入しているので、区役所の国保の窓口で手続きをするが、日程的に治療初日の朝、病院へ行く前に手続きをするしかなかった。
また、少し気になっている医療用ウィッグ店での試着については、投薬後にしか都合がつきそうにない。

バタバタと準備したので、きっと後から思いつくものもあるかもしれないが、まぁその時はその時で対応しよう。

少し気持ちが落ち着いたのか、新しい気持ちが芽生えていた。
これから自分はガンの治療をする。
それは健康を取り戻すための治療だ。
心からそう思っている。
でもその一方で、命には限りがあって、それがいつどうなるかは誰にも分からないんだな、という気持ちも治療準備の中で芽生えていた。

私は30代の頃「うつ病」を経験している。
当時の私には仕事や家族や人間関係などで
一斉に問題が生じ、なんとか解決しようと頑張っていたが
ある朝、突然、「頭」と「身体」と「心」を繋いでいる糸が切れてしまった。
あの日の朝を私は今でも覚えている。
頭では指令を出しているのだが、身体がまったく反応しない。
ただ、ただ、涙だけがこぼれていた朝。
今思えばあの頃の自分は、自分で大きな物事を判断すべきではなかった、と今でも後悔している。

 

けれども心配を掛けたくなくて実家の家族に話すことはできなかったし、
そもそも周囲や医師の助言に耳を傾けることもできない状態だったので、急な退職なども独りで決めてしまった。
しかしその後、傷病手当など当面の生活に必要な申請が独りではできず、また誰にも相談できず、本当を言えば、良いか悪いかよく分からずにした判断はその後、経済的に、精神的に私を苦しめることになり、回復と再発を6年も繰り返してしまった。

それが、2年前に医師から「もう大丈夫」という診断をもらい、なによりこの1年は、少し「回復」という言葉に慎重になった自分でも心から病気をする前の私だ、と実感できていた。
とても嬉しかった。
この6年で迷惑をかけてしまった人へお詫びもしたい。
そしてできなかったことをやってみたい。
色々な活動プランが頭の中で歌い踊り出した。

とは言え、人生はまだまだ長い。
もう一度くらい大きな病気をするような気がしていた。
その考えは確かに頭の片隅にはあった。
そしてそれは、またしても「突然」やって来た。

これを機に身のまわりを整理しよう。
必要なもの、不要なものを整理して、万一の時に掛けてしまう
パートナーや家族の手間はなるべく省いていこうと思った。

と大そうなことを考えたのだが、すぐに思いついて実行できたのは、
使っていないクレジットカードの解約や
ダイレクトメールの購読キャンセルくらいだった。

2017年6月23日

第3章 化学療法
3-1FEC療法

第3章 化学療法

3-1FEC療法

第12話【FEC療法初日】

5月30日。いよいよ初回の投薬日が来た。
午前中に行った「限度額適用認定証」の申請は窓口が空いていたこともあり予想以上に早く終わった。
申請書に記入し、窓口に提出するとその場で「認定証」が発行され、
利用方法と有効期限について説明を受けた。

もう一つ元気なうちに済ませておきたい用事も片づけられたが思いのほかこちらに時間がかかり、30分ほど休んだらそろそろ電車に乗って病院へ向かわなければならない時間になっていた。
投薬前の食事は軽めに、と事前にもらっていたレジメに書いてあった。
今日の昼食はファミリーマートの大好きな鮭お握りを1個。
のん気な性質だが、さすがに緊張している。
大好きなお握り1つを食べるにも少し手こずってしまった。

投薬日の朝から飲むように指示された吐き気止めの薬の数が
私を不安にさせる。昨日は何度も間違いではないかと確認した。

私がこれから4回受ける抗がん剤治療は、【FEC療法】(フェック療法)という。
フルオロウラシル(Fluorouracil)、エピルビシン(Epirubicin)、
シクロホスファミド(Cyclophosphamide)、という3つの抗がん剤を組み合わせた治療だ。

「各薬剤の名前は覚えなくて良いです。でも、治療開始後にその他の医院にかかるようなことがあったら、『FEC療法中です』と必ず伝えてください。」

C先生の診察前に薬剤師さんからそう説明を受けた。
緊張感が高まる。
これから投薬される薬の順番と、今後想定される副作用、その時期や対処法などについて説明を受けたあと、熱と血圧を測って診察を待つように指示された。

当日は母が付き添ってくれていた。
私の母は25年前、副作用に大変苦しんだので、
私が治療後一人で帰宅できるのか心配して出て来てくれていた。

「病院も変わったねぇ。私の時代はこんなに詳しい説明はなかったよ。」

診察を待っている間、母は驚いたようにつぶやいていた。
母が治療を受けた時代は、医師の診断は【絶対】で、患者への治療計画についてさえキチンとした説明などなかったという。

「あ、O野さん、体調は大丈夫?」

別の患者さんの用件で診察室から出てきたのであろうC先生が、私を見つけて話しかけてきた。

「今日は頑張れる?」


一言だったが、その瞬間に先生は私の手を握って、目を覗き込んだ。
体調を判断しているのだろう。

元気です、と笑ったが緊張して怯えているのがバレないか、ドキドキした。

「緊張するのは仕方ないからね」

バレている。
でも逆に安心か。

その後の診察でも治療に問題ない、という判断が出たので直前に服用する吐き気止めを飲み、副作用対策の【氷】を売店で買い求め、化学療法室へ向かった。

2017年6月26日

第13話【フローズン グローブ】

第13話【フローズン グローブ】

「ではこれから投薬を始めますね。最初は吐き気止めのお薬です。最初にお薬についている名前がご自分のものか確認してください」

化学療法室はカーテンで仕切られていて、それぞれに大きなリクライニングチェアとテレビが備えてあった。
この病院では患者を確認する時に、フルネームと生年月日を言う事になっている。
いつもは忘れていたが、目の前に出された薬を見てこの病院にいる、もう一人のO野K子さんをふっと、思った。

(お互い、頑張りましょう)

もう一人のO野さんが、どんな方で、どんなご病気なのかは分からない。
でも病気と闘う自分が、もう一人いるような気がしてちょっと心強かった。

「フローズングローブは使いますか?」

いよいよエピルビシンを投薬する段になった。
かき氷のいちご味のような色だった。
抗がん剤の副作用で爪が変色したり
割れてしまったりすることがあるのだが、投薬時に手足を冷やすと予防効果があるらしい。
同様に口の中の口内炎予防のために、氷をくわえて冷やしておくと良い、とも言われていた。

とりあえずどの程度の副作用が出るか分からないので、
やれるものはやっておこう、と思った。
ところが、これが思っていたよりかなりキツかった。
グローブが思いのほか良く冷えていて、グローブを付けて数分もすると、
足の指が冷たさでジンジンと痺れてきた。
このままだと指がちぎれてしまうのではないか、と思うくらい痛み始めた。

右手の甲に点滴をしていたので、右手はグローブの上で
指を曲げる感じで爪を冷やしていた。
左手は、口の中の氷を補充しているので、グローブの中から手を出したり、突っ込んだりしていたが、
手足につけたグローブと口の中の氷は身体をすっかり冷えさせるのに十分だった。

「具合は大丈夫ですか?」

返事をする前にお腹の虫が鳴ってしまった。
これは予想外の状況だった。
寒すぎて具合が悪くなりそうだ。
それなのに昼食が少なすぎたせいか、途中でお腹が減ってきてしまった。
寒くて、お腹が減っている。


ずばり、惨めな気分だ。

投薬による吐き気は感じなかった。
でもとにかく、寒くて、痛くて、ひもじい、惨めな気分。
イヤホンを挿したテレビを見ているのだが、集中などできず、頭の中には、南極で底をついた食糧袋をズルズルと引きずりながら一人さ迷っている自分がいた。

『日本人はとかく我慢しちゃうんですよねぇ。どうしても無理な時は無理、って仰っていただいて良いんですからね』

さっき説明をしてくれた薬剤師さんの顔がグルグルと回る。
薬剤師さんの顔と一緒に、もう、グローブを外してしまおうか、でも、これを我慢したら爪の変色が防げるのだ!という気持ちも
交互にやってくる。

女子力低めの私が一つだけ褒められてきたのは健康的で艶やかな爪。

「手はしわしわだけど、爪はきれいだね」と
思えば妙な褒められ方をされてきた。
でも今はそれだってできるなら守りたい。あぁ、でも寒い。
気が遠くなるような時間だった。

結局、投薬は1時間15分ほどで終わった。
途中でグローブの冷たさは和らいでいたのだが、
すっかり身体は冷え切っていたので、
超ダッシュでトイレに駆け込んだ。

1回目はなんとか乗り切れた

投薬自体で具合が悪くなることは幸いなかったが、副作用を抑えるための作業で具合が悪くなっている。

人からみたら可笑しいかもかもしれないけれど、
でも頑張れるなら、多少の無理はしちゃうのよ。

だってやっぱり女子だもの。

2017年6月26日

第14話【投薬の夜】

「お待たせ。終わった。さぁ急いで帰ろう」

私は編み物をしながら待っていた母にせかすように声をかけた。

もうすぐ帰宅ラッシュにぶつかってしまう。
今のところ具合の悪いところはないが帰宅の途中で
具合が悪くなるとも限らない。
それにやっぱり寒さでぐったりしていた。

「今日はね、食欲がないかと思って麺を持ってきたからラーメンを作ってあげるよ」

私は普段、あまり母のところに帰らない。
寂しい思いをさせているのは分かっていたが、
貧乏性なので時間があれば働くことを優先してしまっていた。
そういう事情もあるので、久々に娘に食事を作ることを
楽しみにしてしていてくれたのだろう。
心配そうな言葉と裏腹に、電車の中で持参した麺をバッグからそっと見せたその表情は楽しそうだった。

「ん?」

投薬中は食欲がなくなることもあるという。
治療の前に病院から渡されたレジメの中の患者さんアンケートでおすすめの食事は麺類が堂々の第1位、となっていた。

でも私の中ではなんとなく
「素うどん」などを勝手に想像していた。

「ラーメン?」

しかもわりとさっぱりしている塩とか醤油じゃなくて、
バッグからチョロっと顔を出しているそのラーメンの袋は
『悪いね、俺はとんこつラーメン!へへっ』とニヤついている。
とんこつラーメンってくどくないっけ?
あっさりしているんだっけ?
ややパニックを起こす。食べられるか?

作ってもらうので文句を言うわけにはいかないが
なんで「とんこつラーメン」なのだ。
今日は無難な「うどん」じゃないかね?

聞くとそのとんこつラーメンはお土産に頂いたものだという。
それならば有難く頂こう。でもせっかくのお土産をベストとは言えない体調で食べて味が分かるだろうか?
なんかもったいない。なんで今日なんだい?
その理由は急にモゴモゴ口の中で話す母の言葉で理解した。
「そろそろ賞味期限がねぇ・・・」

頂いたとんこつラーメンはさっぱりしていておいしかった。
グッタリと疲れてはいたが、お腹も空いていたのであっけなく完食してしまった。

投薬した夜に発熱することがあるらしい。
事前に渡された薬を念のため枕元に置いてその夜はすぐに横になった。

薬を飲む目安は37.5℃。
そこまでの熱は出なかったが、食べすぎたのかだんだん気持ちが悪くなってきた。

母は隣の部屋からいろいろと話しかけているようだったが、
家のベッドで横になって安心したのか、緊張疲れも一気に出てきた。
ボーっとしてあんまり話が頭に入ってこない。

「今日はもう寝かせちゃいましょう。ありがとうございました」


延々としゃべり続ける母に、パートナーが優しく声をかけた。

今日はいろいろな経験をした。
目にしたいろいろな窓口や関わった人の顔が浮かんでは消える。
あっという間に、私は母とパートナーに感謝しながら眠りに落ちていった。

2017年6月26日

第15話【医療用ウィッグ】

投薬から3日間はとにかく身体が重かった。
逆に言えばそれ以外の発熱や吐き気などはなかったが、とにかく身体が重かった。
通勤のため、いつもと同じ道を歩き、いつもと同じ作業をいつもと同じようにしているつもりだったが、
ふと時計を見るといつもより時間がかかっている。
頭もボーっとしているようだった。

あと2日したら医療用ウィッグを試着しに行くことになっている。
もともとオシャレのセンスが低くて、洋服なども無難なものばかり選んでいた。
それがいきなり強いこだわりを持ってウィッグを選ぶとは思えない。
加えてこの頭の反応の悪さ。
パートナーが付き合ってくれることになっていた。

私が予約したウィッグ店は、医療用ウィッグを取り扱っている。
自分がどれくらい脱毛するか分からないが、
頭が剥き出しになってしまうことを考えると
できるだけ肌に優しいウィッグが良いなと思っていた。
ただちょっとお値段が張るのだ。
医療費控除の対象にもならない。
「医療用ウィッグ」といっても、特に医師が必要と診断しない限り美容目的のため、と解釈されるらしい。

抗がん剤の副作用で脱毛するから購入するのに「美容目的」?
なんとなく納得いかなかった。
自分がガンになっていろいろ調べるようになった。
ガンの罹患率は年々増加しているが、
医療が進んで働きながら治療している人も多いらしい。

「脱毛」って男性だって女性だって結構、精神的な負担がある。
私だって「意外とスキンヘッド、カッコいいかもよ?」
なんて家族や友人の前ではヘラヘラ笑っているけど、じゃぁ、そのまま仕事に行ける?って言われたら話が別な訳で。

それでなくても、抗がん剤治療で身体がキツイ時に精神的な負担など増やしたくない。
仕事や地域イベントなどの社会生活に自信を持って参加するために「ウィッグ」を被りたいのだ。
「美容目的」の一言で片づけられちゃうと切ない。

自治体によっては、助成金が出るところもあるらしいのだが
私が住んでいるところは制度がなかった。
なので心とお財布の調整が難しくだいぶ長いこと悩んでしまった。

ネットで資料請求をするとすぐに、化学療法用か、円形脱毛用かと折り返しの電話があった。
送付する郵便物には店の名前は入れず個人名で送りますね、とも説明された。
届いた資料にはケアマニュアルが同封されていた。
ウィッグの選び方だけでなく、毛髪に関する基礎知識から治療前後の髪のお手入れ方法、まつ毛や眉毛も抜けてしまうのでメイクの方法なども書いてあり、男性のメイクについても触れていた。

何店舗かあるお店のうち1店舗が自宅から近かったのと
アフターフォローが充実していたので他はあたらずこのお店にすぐさま予約を入れた。

店には個室がいくつかあった。
誰かに見られる心配もなくゆっくり試着できるようになっている。
ただ、もうどうしようなく身体が重くて頭がボーっとしていた。
できるだけ集中して、短い時間で決着をつけなければ。
お店の担当者の方は若い人だったが、私の顔色をみて同じことを感じたのだろう、テキパキと

 

「このウィッグの特徴は頭頂部の人工皮膚なんです!
これがあると分け目がすごく自然に見えるんです。」

と、ポイントを押さえて説明をしたのち、
私の好みの髪型を聞いていくつか準備してくれた。

実際に着用して、頭のサイズ感や長さを確認。
そうなのだ。
マネキンがしているウィッグを見ると「あ、これがいい。もう誰が何と言っても、絶対これがいい!」と
思うのだが、実際に私がつけてみると見ていたイメージと違ったりするのだ。

だから思いのほか時間がかかった。
あまりに色々とつけてしまい、どれが良いのかだんだん分からなくなってきてもいた。
それほど優柔不断な性格ではないのだが、やっぱり体調のせいもあるのかもしれない。
準備時間に余裕があるのならウィッグ選びは、治療前の元気な時に行ったほうが絶対にいい、と思った。
私の治療計画では、ウィッグは2年くらいは使うことになるだろうか。
だから慎重に選びたい。でも、もうそろそろギブアップ。

「これ、いいなー」と言った回数が多いウィッグを選び出して並べ、そこからもう一度着用して、パートナーと相談して1つに決めた。
ちょっと後ろの毛が普段の自分の髪型より長いかな、とも思ったのだが、
せっかくならいつもと違う髪型にしてみたい、という気持ちもあって決めた。
入店してから会計まで2時間弱。

「ありがとう、ありがとう。本当にありがとう!」

ウィッグは、パートナーがプレゼントしてくれた。

ウィッグを購入するか否か。
私は丸々、1週間、頭を抱えて毎日、うーうー、と唸っていた。
あまりの悩みっぷりと、あとで「髪の毛がないから・・・」とまた自分の殻に閉じこもられても困る、と心配したパートナーが見るに見かねて購入を決めてくれたのだ。

2017年6月28日

第16話【セルフケア】

乳ガンの治療にあたって、私は偏った食生活と
生活習慣を見直した。

朝はできるだけ早く起きて、掃除洗濯、晩ご飯の下ごしらえなど家事は出勤前に片づけるようにした。
夜は時間を決めて23時には床に就くように心がけていたが今は、ダブルワークも休みをもらっていたので就寝までに少し時間ができた。

副作用で皮膚障害が起きることがある、と聞いていたので就寝までの時間はゆっくりと肌のケアに時間をあてるようにした。

今から予防として出来るのは「身体を清潔に保つこと」「十分な保湿を与えること」「肌に余計な刺激を与えないこと」

ボディソープを、肌への刺激が少ない固形石鹸に替え、合成繊維のボディタオルも100円ショップで売っていたシャボンボールに切り替えた。

シャボンボールはそのままで身体を洗えるのだが、私は主に身体を洗う「泡」をつくるネットとして購入した。
洗顔用の泡立てネットより大きいので大量のクリーミーな泡が一度に出来るので時短になっていい。

実際に身体を洗う時には、無駄に肌を刺激しないよう手に取った泡で身体を包むように洗うようにした。

入浴が終了したら間髪入れずに顔と身体全体に
化粧水とボディクリームを塗る。
ボディクリームの伸びがちょっと足りないな、と思った時は
無印良品で購入したホホバオイルをクリームにちょっと加えた。
それを丁寧に、そしてたっぷり身体に塗り込んでいく。
私の入浴時間はこれだけでだいぶ長くなった。

私は20代の終わりに陸上自衛隊で教育を受けたことがある。
この組織で適応しようとすると「風呂・飯・トイレ」は驚くほど早くなる。
若いときに身体に染みついた習慣というものは今でも意識しないとなかなか直らないものだ。
この際、意識して食事とお風呂はゆっくり楽しもう。

でもまだ何か足りない気がした。

(運動だな)

投薬してから身体の重さと同時に
頑張って意識しないと身体に力が入らないのを感じでいた。
このままなんとなく生活していたら
筋力があっという間に落ちそうで怖い。

もともと身体を動かすのは大好きなだったので
以前は区の体育館で筋力トレーニングを行ったり
ダンスセンターに通ってダンスのレッスンを受けていた。
けれど今回は自宅で、自分のペースでできる運動がいいな。
と考えている時に、ふと、あるクラスを思い出した。

【ヨガ】

1、2回ほど体験レッスンに参加したことがあった。
きちんとやろうとすると、結構、呼吸が難しかった記憶があるけど
その呼吸法が自律神経のバランスを整えるんです、とインストラクターが言っていた。

いいかも!

最初のFEC療法から4日経った頃、我慢できないほどではないが、めまいが始まっていた。
グルグルと目の前の景色が回る回転系のめまいではなくて、長い時間、船にのって波に揺られたあとの頭と身体がゆらゆらする感覚。

このめまいは2年くらい前にも経験していた。
当時は内科・耳鼻科に通ってみたが、原因と思われるものがなかなか見つからなかった。
その後、右の耳が聞こえづらくなりはじめ、もしかして、と受診した心療内科で自律神経の乱れ、と診断されたことがある。

今回のめまいの直接の原因が抗がん剤なのか、治療のストレスなのかは分からないが、とにかくまた自律神経が乱れているのかも。
次の診察で先生に報告しなければならないけれどそれでなくても副作用を抑える薬をたくさん飲んでいるのだ。
できればこれ以上、薬は増やしたくない。

自分の意識でやれることがあるならやってみよう。
手始めに私は「いつかやるかもぉぉぉ。」と録画していた
ヨガ番組のDVDを引っ張り出した。

2017年6月30日

第17話【脱毛】

投薬後1週間もすると多少のダルさや「ゆらゆら」めまいがあるものの
日常生活や仕事に影響が出るほどの症状はなく、うっかりすると抗がん剤を投薬したことを忘れてしまうくらい割と元気に過ごしていた。

脱毛に関しては投薬して10日~14日目で始まる、と事前に説明を受けていた。
今日は14日目。
投薬した翌日には毛量が多くて悩んでいた髪が萎んでしまった気がしたが脱毛の気配はまだなかった。
本当に髪は抜けるんだろうか、などど呑気に考えながら洗髪した水分を払うため、髪を軽く手で絞った時、手のひらに10本ほどの髪がくっついていた。

(始まった)

よくみると浴室の床にも髪が抜け落ちていた。

濡れた手についた髪をゴミ箱に捨てるのはなかなか難しい。
ちょっと手を振ったくらいじゃ離れてくれない。
かき集めた髪をイライラしながら手からはがす。

排水溝が詰まらないよう、投薬前の準備で購入しておいた100円ショップで売っている使い捨てのヘアーキャッチャー。
プラスティックのもあるようだが、掃除の負担をできるだけ減らしたかったので、これは粘着シールのような使い捨てタイプにしておいた。

最初の脱毛が始まってからは、一気に抜け始めた。
次の日には、ちょっとした動作でも自分の毛があちこちに散らばってしまうので、物事に集中できない。
髪が抜けることもつらいが私は掃除のほうが苦痛だった。
いつもの入浴や身支度に【掃除】が加わるので時間がかかる。
自宅や職場で自分が歩いたところを振り返っては抜け毛を確認して拾い集める。

 

いっそ、頭を刈ってしまいたい、という衝動に駆られるのだが、
髪が短すぎるとかえって抜けた毛を集めるのが大変、という
先輩方の話を聞いていたので、そこはグッと我慢する。

「あ、そうだ。こんな時のためにカツラ屋さんで頂いたものがあったっけ。」

 

医療用ウィッグの資料請求をした時に、
不織布の使い捨てキャップ2枚組がおまけとして一緒に送られてきた。

 

「はて、この抜け毛ってどれくらい続くんだろう?」

使い捨てのキャップは2枚しかない。
おまけなので追加で購入しようと思ったのだが、脱毛が始まる時期については説明を受けていたが、それがどれくらい続くのか聞いたことがなかったことに気が付いた。

個人差はあるだろうがとりあえず購入枚数の目安が知りたいので
ネットで検索する。

1週間という人もあれば、2週間という人もいる。

「じゃ、まぁとりあえず10枚1セットのでいいか」

注文したあとで気が付いたのだが、
これから外出の際には綿や毛糸のケアキャップを被る。
(写真は母手作り毛糸のキャップ。同じ形は頼んでも再現できない)

頭に直接毛糸のキャップを被ると抜けた髪が絡まってしまうので
脱毛が落ち着くまで不織布のキャップを被って毛糸のキャップを被ったほうが良いだろう。
その時に、毛糸のキャップの下から見えても黒か茶色なら目立たないが、
おまけでもらったキャップより安い値段につられて思い切り白を頼んでしまった。

しまったなぁ、と思った時に、何をしているのかPCを覗き込んだ
パートナーがボソっと言った。

「おまけと一緒の使い捨てキャップ、かつら屋さんで事前に用意しておいたほうが良いですよ、って言われてかつらと一緒に10枚組買ったでしょうよ」

そうだった。ダブルでやってしまった。

2017年6月30日

不織布使い捨てキャップ
ケアキャップ

第18話【時短復帰】

私は3週間に1度、FEC療法を行うことになっていた。

投薬日から1週間は身体が重く、疲れやすさと「ゆらゆら」めまいを感じていたがそれ以外の症状は特になかった。

2週目には脱毛が始まったが、身体もめまいもだいぶ軽くなった気がした。2週目は白血球が減少するので感染症に気を付けるよう指導されていた。

3週目からは体調も回復する、と教えられていた。

私は2週目からだいぶ体調も回復していたのでこれから迎える3週目についてある思いがあった。

(もう少し、働きたい)

急に治療を開始することになったので、それでなくても年中、人手不足の
ダブルワークの職場には迷惑と心配をかけてしまっている。

私自身も貧乏性なのか、元気なうちに自分の時間を少しでもお金に変えたい、という思いと身体を動かしておきたいという気持ちがあった。

主任のDさんに連絡を取って体調の報告をする。
昼間なら体調も良い。夜も21時くらいまでならやれそうだ。
人が足りない日はないか。

速攻で返事がきた。勝手なお願いだったが快くOKしてくれた。
今回は2回目のFEC療法の直前の3日間休憩を回す要員として短時間だが入ることになった。

まだ1回目の投薬だったが、なんとなく今後の治療と体調変化について予測ができる。

来月からは自分の体調と人が足りない日を調整して事前に希望を出せそうだ。

涙、涙、のご挨拶から3週間しか経ってない。
正直いうとちょっと恥ずかしかった。
治療が始まる前はどうなるか分からなかったとはいえ、ちょっと大げさだったかなぁ、と思い出すと赤面してしまう。

みんなどう思うかしら?

「おはようございます」


すでにレジに入っている担当者に挨拶をして交代する。

「おはようござ・・・ええっ!?」
そりゃ、そうだわな。

「すいません。思いのほか元気でして・・・。恥ずかしながら、時短復帰、致しました」

当たり前だが驚かれてしまった。
でも次の瞬間にはみんなでクスクス笑ってしまった。

復帰した日は初めてウィッグをつけていったので
私の休憩中の話題はもっぱらウィッグだった。

「よくできているねぇ」

「ここの頭頂部の肌色がポイントなんですよ」

ウィッグ屋さんの営業トーク、そのままだった。

脱毛のピークだったので、ウィッグの下に被ったネットからも髪がこぼれていたのかもしれない。
話しながら、肩や背中についていた髪をそっと取り除いてくれた優しさに
ただ、ただ、感謝の気持ちしかなかった。

2017年7月1日

3-2 FEC療法2ND COOL

第19話【血液検査】

アッと言う間に2回目のFEC療法日になった。
今日も投薬の前に血圧・体温計測・血液検査をしてから先生が診察で投薬の可否の判定をする。
初回の投薬日からの体調を報告。
3週間となると意外と記憶がなくなっていくので毎日体調を記録するノートを病院から渡されていた。
「ふわふわ」めまいがあったがその他については特につらい症状はなかった。

「発熱もなし?痛みもなし?口内炎も爪の異常もなし?」
「はい。あ、でも1日1回~2回の便通は壊れてました」
「薬は真面目に全部飲んでた?」
「はい。真面目に飲みました」
「う~ん、それは下剤が効きすぎてるのね」

そうだった。
投薬で便秘になることがあるので処方されていた薬の中には下剤も入っていた。
下剤については様子を見て調整してよし、と言われていたが、飲まなくてはいけない薬が余りに多いこと薬によって朝と昼と夜だったり、昼だけだったり、と管理が大変だったので2日目の夜に朝・昼・晩で服用するセットをまとめて作っていた。
そこからあんまり考えないでひいひい言いながら下剤入りの1セットを飲んでいたのだ。
やっぱり私はどこか間抜けなんだよな。

基本的に丈夫なのね、と笑われて今回の投薬もOKの判定が出た。

化学療法室の前で投薬の準備を待つ。
薬の調合は1時間くらいかかるのでさきほどもらった血液検査の結果を見てみた。
素人なので項目の1つ1つについて詳しくはないがほとんどの項目が基準値内に収まっている。
減少する、と言われている白血球も今の段階では、ほんの気持ち基準に届かない程度だ。

(よしよし)

気分を良くしていたが次の項目で思わず息をのんだ。

【γ-GTP】

私はお酒を飲むので、この数年の健康診断でこの数値が少し気になっていた。
肝臓の病気をチェックする項目。
今回の検査ではこの項目だけが勢いよく基準値を飛び出している。

乳ガンの治療に来ているのだがすでに頭は「マサカ、カンゾウモ、ビョウキデハ!?」という考えで頭が一杯。
急いで自分の数値の意味をチェック。
とりあえず急いで病院で検査をする必要はなさそうだが
要注意、というところか。

『仕出かして来た過ちが私を許しはしないらしい』

中島みゆきさんの「愛情物語」という曲の一節が思わず口に出た。
5月30日の投薬を機に、酒とたばこは止めてきた。
でも今までの私はどうだったか?
嫌なことがあるとすぐにお酒に逃げるような生活をして時期があった。
溜息が出た。

【アルコールの影響を受けやすいので、検査前日の飲酒はNGです】

検索していたスマホ画面に表示されている文字。
そうだ!
ここのところ体調が良すぎてちょっと油断した。
明日はまた投薬だ、頑張ろう!という言い訳を作って思わず昨日はビールに手を出してしまった。
缶ビール500mlを1本。いや、2本だったかな?
今回の異常値はそれが原因だと良いが。
次回から気を付けてとりあえず様子をみてみよう。

しかし。
この結果をこのまま持って帰ってパートナーに見せたら「ほら、言わんこっちゃない」とお説教されるのは目に見えていた。

投薬までもう少し時間がある。
γ-GTPを下げる食材がないか検索しながら治療を待つことにした。

3-2 FEC療法2ND COOL

2017年7月5日

第20話【フローズングローブ2】

2017年7月10日

診察から1時間ほど待つと化学療法室から名前を呼ばれた。
2回目の投薬ということでだいぶリラックスし今回は一人で投薬を受けに来ていた。

最初に投薬するのは吐き気止め。
抗がん剤のエピルビシンを投薬する時に、前回同様


爪の変色対策としてフローズングローブをお願いした。

私が通院しているC病院では、爪への副作用対策としてこのグローブが用意されているが、病院によってはないところもあるらしい。
それでも希望する場合は患者が個人的に購入して治療を受けているケースを先輩たちのブログで知った。
中には脱毛対策としてアイスキャップを購入している方もいるらしい。

イヤホンで視聴でしていたテレビが「6月なのに今日は夏日です」と言っている。
けれどもそれを見ている私は両手両足に冷たいグローブをはめて口の中にひっきりなしに氷を投入しているので寒くて仕方がない。
汗をかいているリポーターの話が別の世界のことのように感じられた。

2回目だけれど、この寒さはやっぱり慣れなかった。
むしろ1回目のほうが緊張していたからか頑張れた気がする。

2回目のFEC療法では、氷を食べるのは途中でギブアップした。
口に含んでいた氷の臭いが急におかしく感じたのだ。
長い間、製氷機を放っておいた時に発生するあの嫌な臭い!
売店で購入した氷だったし、突然、臭いが変わるなんてことはないのだろうが急にその臭いが口の中に広がって、吐き出しそうになった。
身体が冷やされ過ぎて、感覚がおかしくなったのだろうか。
それとも薬のせいだろうか?
とにかくその日から数日間は、氷はもとより水も見ただけであの嫌な臭いの感覚が蘇ってしまいとてもうけつけられなくなってしまった。

3回目の投薬の時に、もう氷を口に入れる自信がない。
困ったな、と同じ病気の先輩方のブログをいろいろ読んでいるうちに
口の中の氷は、時々舐めるので十分という方や、やらなくても副作用が出ない人、エピルビシンでは冷やしてもあまり効果はない、と書かれている記事を書いている方を見つけたりした。
先輩方のブログでは随分、勉強させてもらっていたつもりだったが、もしかして、頑張り過ぎたかな。

個人差があるので先輩方の経験は「あくまで参考」だ。
今のところ爪に異常はない。口内炎もない。
口内炎は譲れないけれど、寒さとあの嫌な臭いに悩まされるのも耐えられない。
とりあえず3クール目の時に自分の体調を説明して先生にアドバイスをもらおう。

第21話【脱毛2】

2017年7月10日

私の脱毛のピークは2週間だった。
この2週間、私の髪の毛は低温のシャワーに流され、弱冷風のドライヤーで飛ばされ、枕カバーに自ら突っ込んでゆき、勢いよく抜けていった。
あまりによく抜けていくので完全にツルツル頭になることを想像していた。

でもツルツル頭になってしまうのは正直イヤではなかった。
だって女性が頭をツルツルにするなんてなかなかできないことだし!
そういえば昔見た、映画「G.Iジェーン」のデミ・ムーアはカッコ良かったなぁ。
そうだ、せっかくだから真似して写真を撮ろうか、とまで考えていて
密かに楽しみにしていたのだ。

けれどもそう、うまくはいかなかった。
そろそろピークも終わったのかな、という頃に鏡で見た私の髪の毛は、頭頂部を中心にO型に抜けていた。
すっかり地肌は見えているのだけれどもそれでも厳しい脱毛期間を耐え抜いた少量の髪の毛が「申しわけ~」なさそうにヘロヘロになりながら頭が剥き出しになるのを辛うじて守っている。
写真を撮るには微妙すぎだ。

かと言って、せっかく残った髪の毛や投薬中の白血球が少ない時期に
頭に傷をつけてしまう可能性を考えると剃るのはためらわれて写真はすぐに諦めた。

 

脱毛が始まると髪の量が毎日減っていくので外出時に被っているキャップやウィッグがだんだんブカブカになる。
髪の毛の有無で頭のサイズってこんなに変わるんだ。
ウィッグについては、ある程度脱毛のピークが落ち着いたらサイズ直しをしてもらうことになっていたのだが手持ちの帽子やキャップのサイズはそうはいかないので下に不織布のキャップをつけていた。
夏目前の時期に被るキャップやウィッグはちょっとしたストレス。

頭が暑い。蒸れる。
事務所で社長が席を外す一瞬を狙っては被り物の隙間から頭に扇風機の風を送る。
ああ、なんて涼しいんだろう!

ふうふう言いながら帰宅したらすぐに被り物を取る。
鏡に映る頭には汗でクタクタになった髪が張り付いている。
卵のような丸い頭は、玉のような汗を大量にかいている。

今日も一日、過酷な状況に耐えた髪の毛を思う。
「君たちは今日も良く頑張った」

なんとなく涙が滲む。

第22話【痛み】

2017年7月12日

2回目の投薬の夜はひどい悪心に苦しんだが、翌朝にはだいぶ軽減されていた。
ただ食事をするとムカムカと気持ちが悪くなるのでこの間は出先での食事は控えていた。

それも3日、4日もすればその心配もなくなった。
ただ今回は、投薬の夜から身体が時々痛くなることがあった。

筋肉痛や関節炎の副作用が出ることもある、とレジメに記載されていたがそのどちらでもない感じ。

決まった箇所が痛い、ということではなくそのときによって左肩の付け根だったりしこりのある右胸だったり、足の付け根だったり、指が痛い。
身体の奥をグッと押されているような痛みが断続的に起こった。

たいてい我慢できるのだが、思わず呻いてしまうほどの痛みが時々、走る時がある。
正直、その時は不安になる。

「痛い、痛い」と呻いてしまうと自分の言葉で痛みが倍増する気がした。
なにより聞いているパートナーも心配する。

とは言え、心配かけないように声を我慢するのも結構なストレス。
自分の苦痛を発散または和らげ、周囲の人に余計な心配をかける方法はないか?
考えろ、考えろ、O野。考えていれば少し気も紛れる。

(あ、そうだ!)

私は映画や海外ドラマが好きなのでよく見ているのだがその中の決め台詞やリアクションを「痛い」といういう言葉に置き換えてみるのはどうだ?

良い歳をした大人が考えついた事にしてはややアホっぽい感は否めないが・・・
この際、やってみる。

でも意外と出てこないな。というか長いと痛みの症状に合わないな。
一言台詞が良さそうだ。

「ぐわしっ!」

ほどよく痛みが始まった。
とっさに出た言葉が「ぐわし」だった。
うん。なかなか良さそうだ。アニメだけど。
一瞬の痛みを一言で表現してる。
しかも言った本人が笑い転げてる。

「ひでぶ!」

次の痛みに合わせてみる。
う~ん。
瞬間的なタイミングは良いけどこれって死んじゃう時の台詞だよねぇ?

やっぱ「ぐわし」だな。
笑っちゃうのは良いよね。だいぶ気持ちが和らぐ。

「何事なの?」

あ、でも周囲には事前に説明しないと
やっぱり心配になって飛んできます。

第23話

【医療用ウィッグ2~アフター・ケア】

2017年7月13日

医療用ウィッグを着用して3週間近く経った。
当初は毎日つける予定だったのだが、感染症対策としてつけているマスクとウィッグの中の頭の暑さと蒸れ具合が、湿気の多い梅雨時期には思いのほかきつく、週に1日~3日程度のダブルワークの接客業が入っている日以外は毛糸のキャップで昼間の事務の仕事に通っていた。

帰宅後には専用の消臭スプレーをかけるのだが、そろそろ汚れも気になるので初回のウィッグシャンプーの予約をした。
私が購入したお店では、自分でウィッグを洗う前に担当者が洗い方を無料でレッスンをしてくれるのだ。
髪の量もだいぶ減ってきたので、少し緩くなってきていたウィッグの調整もお願いした。

この日も暑かった。
個室に案内してくれた係りの方が、リフレッシュシートを出してくれた。
ウィッグと下に被っているネットを取って、頭の汗を拭く。
これがツルツルなら、思いっきり拭けるのだがまだ残っている毛があるので抜けないように軽く押さえるように拭く。

購入時に担当してくれたFさんの入室ノックで慌ててネットを被る。
自分は剥げてきた頭に慣れて来たけれど、久しぶりに見る人には衝撃が強いかしら?なんて一瞬思ってしまったのだ。
でもよく考えたら相手はプロなんだし、見慣れてるかな?

「あれ?O野さん。この時期ならもうウィッグの下に被るものは
ネットではなくて綿キャップですよ」

案の定、ネットからうっすら見える頭の状態よりも
被っている【もの】が違うことが、まず気になるらしい。

「はぁ。綿キャップ。なんでしたっけ?」

「あれ?この前、購入したの忘れちゃいました?」

髪がまだそれなりに残っている時は、ネットでまとめた髪をピンで止めてウィッグを被る必要がある。

ただピークを過ぎると今度は汗がそれなりに出るので吸汗性の良い綿のキャップに変えるのだ。

そう教えられていたのだが、購入したこともスッカリ忘れて、今の私はピンで止める髪もほとんどないわ、汗はダラダラ流れてくるわで、
どうしたもんか、と悩んでいたのだ。

購入に来た日は投薬してまだ間がなくて頭は完全にボーっとしていた。なんとなく「はい、綿キャップはい。」言っていた。

 

「すみません・・・」

「いえいえ。今日、分かって良かったですね」

(ああっ!ピンで止めたいところに髪がなくて頭を抱えてた私はただの間抜けではないか!)

その後、ウィッグの調整をし、シャンプー、トリートメントとセットのやり方のレクチャーを受けた。
とにかく優しくなのだそうだ。
う~ん。できるだろうか・・・。

「O野さん。もし忘れてしまっても最初にお渡ししたガイドブックに
この手順は書いてありますからね」と気遣って頂き、最後に毛の量や前髪の長さでカット希望はあるかを確認された。

本当を言うと、毛量も多く、前髪が少し長いかな、と思っていた。


購入当初は眉毛も全部抜けてしまったら、不器用な私には
うまく眉メイクができるか不安で、眉が隠れる長さにしてもらっていた。
でも普段はもっと短いので、いささか自分らしくないかなぁ、
いや、今はまだ眉は残っているけど、もう少し様子を見たほうが良いのでは?
などとだいぶ悩んでいた。

「う~ん」
だめだ。今日はそこまで調子悪くないのだが
どうも最近、頭が回らない。決断ができない。
確かにもともと頭の回転は早くはないのだが・・・

「とりあえずまだこのままで良いです」

それなら、とFさんが丁寧にカールを巻いてくれて上機嫌で会計へ。

「今日はチケット持っていらっしゃいましたか?」

「あ。」

このお店では最初のシャンプーレッスンとセットは
無料で行ってくれるのだが、そのチケットを忘れて来てしまったのだ。

「忘れちゃいました。すみません・・・」

「大丈夫ですよ。今日は持参したことにしておきますから次回お持ちくださいね」

いろいろありがとうございます。
これからもお世話になります!

ネット
綿キャップ

第24話

【禁煙外来~チャンピックス】

2017年7月13日

私は抗がん剤治療を機に「禁酒・禁煙」を宣言した。
ところが実際に実践できたのはたった9日間だった。
これは、思いのほか苦しい副作用がなかったことと、「9日間止められたのならいつでもまた止められる。なら1本だけ」
という、禁煙失敗あるあるを思いきりやってしまったからだ。

1本吸ってしまったら、習慣でダラダラ吸ってしまう。
もちろん病気のことは気になっているので今まで1日20本だったものが10本までに減っていた。
でも週末に『今週も頑張ったなぁ』などとビールを1本開けてしまうと
たばこの本数も勢い増えてしまう。

「これはダメだな。」

治療を受けるにあたり、私自身いろいろと勉強して自分でできることは併用してやってみよう、と決めたつもりだった。
それなのに、『今の私の身体には悪いので絶対、止める!』と最も決意していることが実践できていない。

自分の意思だけでは無理だと判断した私は、禁煙宣言の翌日にパートナーから渡されていた近所の禁煙外来一覧を見ていた。
私より先にパートナーはこうなることを予測していたのだろう。
ありがたいやら恐ろしいやら。
もちろん禁煙外来に行くことは事前にC先生に相談してOKをもらっている。

病院を決め、いざ予約の段になった時に院長が病気のためしばらく休診することが分かった。

「ふうむ」


別の病院にしようかとも思ったのだが、禁煙治療も3か月ほど通わなくてはいけない。
それを考えると近いほうが有難い。
10日ほどあけて様子を見ると既に診療が始まっていた。

「ふ~ん。そう。あのねぇ、禁煙って禁煙補助薬だけでは成功しないのよ。自分の意思が必要。分かる?」

50代後半から60代前半の男性院長のなんだか高圧的なモノの言い方が気になった。大きなマスクとメガネで表情があまり良く見えない。

自分の意思が必要なのは分かっているけどそれだけでは失敗したから助けを求めているのではないか。
なんだか3か月もこの先生と頑張れる気がしないな、病院変えようかな、と考えた。

「・・・スケジュールとしては12週間が基本なの。この間は健康保険が適用できますが、これを過ぎると自由診療になるから。また自分で判断して中断した場合は、最初の診察から1年を経過しないと自由診療になります・・・」

頭のなかでこの先生ではないかも、と思っているので
説明している言葉があまり入ってこない。

「・・・このチャンピックスを使うと、副作用として吐き気や変な夢を見たりすることがあるんだけど、精神疾患はありますか?」

う~ん。かつて鬱病を患っていたことは話した方がよいのだろうか。
でも今はそれらの薬は飲んでいないしなぁ。
なんとくなく「いいえ」と答えてしまった。

「じゃ、処方します。良いですね」

この先生に決めた。
私はこれから禁煙をするのだ。自分に都合の良い先生ではまた何かしら甘えてタバコを吸ってしまうだろう。

3-3 FEC療法3ND COOL

3-3 FEC療法3ND COOL

第25話【患者報告アウトカム】

2017年7月15日

fec療法3回目。
挨拶も早々に

「じゃちょっと診てみましょう」

このC病院では診察前の待ち時間に前回の治療からこの3週間に身体に起きたこと、感じたこと、不安に思っていることなどを記入して提出することになっている。
そこで私は思い切って、かなり気になっていたことを書いていた。

『副作用についてはまったくありません。お陰様で仕事にも日常生活にもほとんど支障がありません。ただ、しこりが小さくなった感じもなく、薬が効いているか不安があります』

触診して先生も納得。
う~んと少し考えたあと
fecをあと2回やった後に予定しているハーセプチンは、よく効くので期待して大丈夫、今回のfecでも効果がなければ次回のfecは少し薬の度合いを変える、と言った。

そこで私は他に2回目以降で気になった、身体のあちこちが不定期に、断続的に痛くなること、辛かった口内炎予防の氷のこととお陰様でほとんど使わない下剤と消化器系の薬が大量に余っている状況を報告。

身体の痛みについては、やはり元気に過ごしていても病気への不安が全くないわけではない。ましてやしこりの変化も感じられていないので正直「もしかして転移?」とふと不安になることが痛むたびにある。
その思いを勇気を出して聞く。

痛みや症状について人に説明するのは難しい。
今までもいろんな病院で歯がゆい思いをしてきたけれど、今回もあまり上手くは説明できなかった。
痛みの度合いは10を満点として数字で表したり、種類は擬態語で伝える方法がかなり有効らしい。

そういったうまい説明が出来なかったせいか(その都度メモしておかなかったので記憶が少し曖昧だったのも失敗)今私が感じている痛みそのものが何であるか先生もはっきりとは断言はしなかった。

「でも転移ではないから大丈夫。」

新薬開発の臨床試験では、【患者報告アウトカム】(PRO・Patient Reported Outcome)という言葉があるらしい。
これは、薬を使った被験者が症状などを主観的に評価するシステムなのだが、根本に「治療は患者のためにあるものなのだから、医薬品の評価にも
患者の主観的評価を積極的に取り入れていく」という考え方
があるらしい。

痛みや味覚などを伝えるのは本当に難しいけれど、より良い薬と治療を願うならば治療される患者にも医師に丸投げでなく、ある程度自身がやらなければならないことってあるんだな、って最近思う。
伝えなければ医師も状況を把握できないので、今は下手くそでも、これは根気よく良い伝え方を研究していこう。
辛いときほど書き殴りでよいからメモをしようと思った。

「それを早く言ってくれていれば」ということで私も先生もあとで後悔したくないはずだ。
私の下手な説明を理解しようと眉間にシワをグッと寄せて根気よく聞いてくれるC先生に感謝、感謝。

口内炎対策の氷については今も口内炎ができていないのなら無理しなくてOKということになった。
下剤なんてよくよく数えたら70錠近く残っていた。

「はいはい。じゃもうデカドロンとカイトリル以外は要らないね。眠剤は?」

「それは少し欲しいです」

デカドロンもカイトリルも制吐剤なのだがデカドロンに興奮作用があって飲むとぐっすり眠れないのだ。
2~3時間ごとに起きてしまうので(年齢のせいか、トイレもあるんだけどね)2回目の時に導眠剤を処方してもらった。

「それでもこの導眠剤はあんまり強くないからもしかすると夜中に目覚めてしまうことがあるかも。と言ってそこで続けて飲むと翌日に支障が出るから・・・」

「諦めてモンモンとしていろ、ということですね。分かりました」

私はもうひとつ、本当は報告したくなかったのだが絶対聞いておきなさい!というパートナーのありがたい【ご指導】を受けたことをしぶしぶ付け加えた。

「先生。あんまりこの治療と関係ないと思うのですが・・・」

「何?」

「足の親指が赤く腫れてかゆいのです。2日前から」

「どれどれ。あー。・・・水虫?」

ほら!だからこの治療とは関係ないって言ったのにぃ!!

「いや、でも・・・そうでもなさそうな気もするなぁ。
投薬まで1時間あるから皮膚科を受診して診てもらって来なさい。
カルテ書いておくから」

結局この日は、投薬までの1時間を2フロア下の皮膚科受付前で過ごした。
乳腺外来とか腫瘍科では、あんまり目立たないのだが
ケアキャップと投薬準備で左腕に刺さっている注射姿が
皮膚科では思いきり浮いていて
同じ病院の中だけどどうにも気まずかった。

ちなみに受診結果は

「これが全体的に広がれば、副作用も考えられるのですが、
ここ1か所だと今の段階ではなんとも言えないですねぇ。
軟膏を出しておくので、様子を見てまた来てください」

だって。もう。

第26話【禁煙再挑戦】

2017年7月23日

1時間15分の投薬を終え化学療法室から出て
身支度をしている時にアナウンスが入った。

「O野さん。O野K子さん。◎番診察室へどうぞ」

「へ?」

たった今、投薬を終えたのになぜ呼ばれているんだろう。
しかも私の担当のC先生はその診察室ではないはずなのだが?

いぶかしげに周囲を見回すと、3m先で動き出した車椅子があった。

(もしかして!!)

高齢の女性が座った車椅子を私と同じくらいの年の女性が押している。親子だろうか。

アナウンスされていた番号の診察室へ入って行った。
今の女性がもう一人のO野K子さんなのかもしれない。
不思議な感じがした。

日本の人口は1億2600万人くらいだから同姓同名の人はいると思う。
でもこの廊下で出会ったのはやっぱり不思議な感じがした。

不思議といえば、私の女の家族は、祖母・母・私と3代で乳がんになったが3人とも同じ年齢だった。確かに40代に多い病気だけれども全く同じ年齢というのも、これもまた不思議な感じがする。

感慨にひたりながらの帰り道、自宅近くの薬局に禁煙補助薬のチャンピックスを取りに行った。
チャンピックスは、最初の3日間と以降では薬の量が違うのだが、診察した日は最初の薬が在庫切れだったのだ。
翌日は30分早く閉店することを知らなかったので受け取れず、そのあとは仕事の都合で営業時間に間に合わなかった。
結局、診察から1週間経ってしまった。

禁煙外来は保険適用に、最初の診察から数えて期限がある。
チャンピックスは服用して7日間は喫煙しても良いことになっていたが、
保険適用内に終えようと考えると、私が喫煙しても良いのはチャンピックスを服用していようと、いまいと今日までなのだ。

チャンピックスにも副作用がある、と説明は受けていた。
夢の話や吐き気、便秘等…。
投薬の日に始めるのは正直怖かったが、仕方ない。
むしろ私は苦しむくらいじゃないと禁煙出来ないかも、と思っていた。

食事のあとのデカドロン。
最近、これを飲むとなんだか気持ち悪くなる気がしているが、今日はこれにチャンピックスが加わる。
ベットで横になると悪心が始まった。

投薬3回目で始めて感じるギブアップ感。
テレビの料理映像でさえムカムカしてしまう。

ここまでの悪心は始めてだ。
次回の診察の際に報告が必要だが、原因が投薬なのか
チャンピックスなのか微妙に分からない。
手足の脱力に加えて、気力も奪われていく。

(今、タバコを吸ったら絶対おいしくないよね)

ヨロヨロしながら起き上り、タバコに火を付ける。
うん。思ったよりマズくはないけどおいしくもない。
この「おいしくない」という感覚が禁煙したい人にとってこのあと大事なのよ。

そんなことを自分に言い聞かせながらも喫煙の思い出が走馬灯のようによみがえる。
会社に当たり前に【喫煙室】とか【タバコ部屋】と呼ばれる部屋があった頃、そこでは所属や職級を超えた
【喫煙者】だからこその知り合いが出来たり、聞ける話があった。
私が子どもの頃は父親のお遣いで近所のタバコ屋さんにハイライト買いに走ってた。200円握りしめて・・・。

う~ん。200円か。
今は410円だから考えるとタバコもずいぶん高くなったね。
節約の意味でも、やっぱり禁煙したい。

第27話【幸運のノック】

2017年7月26日

FEC3クール目は大きな不調はないものの、1、2クールでは感じなかった症状いくつか出ていた。

まず息切れと動悸。
どちらも瞬間的なものなのだが夜の勤務先が混んでいて、少しスピードアップした動きを続けたりすると息が切れてドキドキしてしまうことが何度かあった。

次に両手の親指の変色。
うっすらとではあるが、爪半月の上の部分が紫色がかってきた。
そして私が一番、驚いたのが便秘。
2クール目までほとんど影響はなかったのだけれども、3クール目ではいきなり通じが悪くなった。
朝昼晩の3回下剤を飲んでようやく、と言った感じ。

「元気、元気」と思っていても、徐々に蓄積された薬の影響が出てきている、ということなのか。
だとしたら、予定も少し用心して立てたほうが良いかな。

そんなことを考えていた時、Gさんからメッセージが届いた。
私は前日に乳ガンになったことと、このブログを始めたことを
親しい人に知らせていたのだが、ブログを読んでくれたらしい。

私は昔、ミュージカルの学校に通っていたことがあった。
Gさんは私より歳下だったが、1期上の先輩にあたる女性で
小柄ながらその歌声やダンスはとてもパワフルで、笑顔が魅力的な人だった。
卒業後は、舞台での活躍はもちろん、子どもたちの情操教育(ちょっと表現が古いかも?)などいろいろなお仕事でその能力を発揮していた。

【食事療法】を考えているのなら紹介したいお店がある、と連絡してくれたのだ。
食の大切さを伝えるお仕事もされているらしい。
素直にありがたかった。

私は標準治療(化学療法、手術、放射線療法)に加えて食事についても見直そう!と意気込んではいたのだがなにせ今までが肉と白飯に偏っていたのだ。
その反動は、なんとなくありがちな「とにかく野菜!!とりあえず野菜?」で終わっていた。
Gさんはそんな私を見抜いたようだ。
是非、お願いしたいです、とメッセージを送るとそれならお店に相談してみましょう、と忙しい身なのにすぐに返信を頂いた。嬉しかった。

その2日後は、かねてより約束をしていたHさんと再会した。
ミュージカルの学校で同じ舞台に立ったHさんは明るくて人あたりが良く、クラスの【癒し】的な存在だった。
そのHさんは私より少し先に同じ病気と闘っていた。
素直に頼りたかった。

Hさんは最後の化学療法を終えるところで副作用はかなりキツイ、と連絡をもらっていた。
事前に病院で説明されるあらゆる副作用が出ているらしい。
そのうえ7月に入ってからの連日の暑さで大丈夫かな、と心配していたが
当日待ち合わせたヴェトナム料理店には元気なHさんが入ってきた。
良かった。

注文もそこそこにHさんが切り出した。
「身体が痛いんだって?」
C先生にうまく話せなかった、身体の奥をグッと押されるような痛み。
ひとりで勝手に【ぐわしっ!痛】と名付けた痛み。

その話について私は事前に連絡していなかったのだがやはり一緒に舞台に立ったIさんがHさんに私のブログ記事を送ってくれていたらしい。

「はい、でもいわゆる血管痛ではないんです」

「うん、うん」

抗がん剤は、がん細胞だけでなく正常な細胞も傷つけてしまうのだが、血管も刺激するらしく、しばしば点滴をした左腕の血管が突っ張るような痛みがあった。
長時間続くことはないのだが、これがなかなかに痛い。
ただ先生に訴えたかったのはこの痛みではない。

「その痛みはね・・・」

Hさんが話してくれたその【痛み】。


それは私がまったく想像していなかったものだった。

第28話【グッド・ニュース】

2017年7月26日

「抗がん剤治療を始めると白血球が減るでしょ?
O野ちゃんのその痛みは、少なくなった白血球を骨が作ろうとしている時の痛みなんだよ」

「えええっ!?」

驚いた。いや本当に驚いた。
高校だったか中学だったか、理科の授業で学んだ「骨髄=血液をつくるトコロ」のお話し!?

痛みをうまく伝えられないのでC先生にはもちろん、ネット検索もできなかった。
それが、IさんがHさんに知らせてくれたおかげで再会して10分もしないうちに私が最近悩んでいたことがあっと言う間に解決してしまった。
やっぱり同じ病気をしている人の話って聞くべきだなって思った。
そしてIさんに感謝した。
実はその日、Iさんは音楽劇の公演の初日を迎えていたのだ。
私は今頃、場当たりをしているだろうIさんを思った。
最初は迷ったが、親しい人に近況を話して良かった。
本当に困った時、いつも私は誰かに助けてもらっている。

それにしてもこの痛みは良い痛みなんだ。
身体が病気と闘っている証なんだね。
くだらないけど直感的に「ひでぶ」じゃなくて「ぐわしっ!」にして良かった。

「それとね・・・」Hさんが続ける。

「私も同じFECをやっているけど、FEC自体ではしこりはそんなに劇的に小さくなったりはしないらしいよ。
むしろこのあとにハーセプチンを予定しているんでしょ?これは本当によく効くらしいよ!」

Hさんが入院中、隣のベッドにいた患者さんは
薬剤師さんで薬の話をよくしていたらしい。
その薬剤師さんも私の治療計画に入っている
分子標的薬療法の「ハーセプチン」は絶賛していたとか。
ほかにも同病の友人の方がこの薬を投薬したことで
ガン細胞がなくなった事例などもあると話してくれた。
HER2陽性でこの薬の投薬対象になったのは
むしろラッキーだと思っていいんだよ、と言ってくれた。

ここのところ、「元気です!大丈夫!」と言いつつ
少しづつ出てきた副作用と実感できない治療効果に
正直、不安な毎日を送って来ていた。

 

だから私はその日、久しぶりに安心してたくさん笑っていた。

「そうそう、笑いと言えばさ・・・」

同じ病気をしている女子同士の会話は【脱毛】に及ぶ。
詳細は内緒だけれど、髪の脱毛パターンは人それぞれ。
Hさんのパートナーさんが彼女を見て言った感想。
そのキャラクター名を聞いて思わず笑ってしまった。
でも<笑い飛ばす>くらいの気持ちが大事だよね、との結論になる。

ヒソヒソ話とクスクス笑いは続く。
あのね。
副作用で抜けるのは【髪の毛】ではありません。
厳密に言えば【体の毛】。

第29話【情報戦】

2017年7月26日

「私はね、FEC よりドセタキセルの方が副作用がキツかったの」

ドセタキセルというのは抗がん剤の1つで、私もFEC のあとの投薬計画に入っている。
このドセタキセル治療で、Hさんは投薬中から具合が悪くなったらしい。
また味覚障害がひどく肉がまったく食べられなくなってしまい、タンパク質の数値が極端に下がってしまったとのこと。
その結果、治療に影響が出てしまうので、その対応にも苦労されたことなどを話してくれた。

う~ん、そうなのか。
なんだかんだ言って私のFEC はあと1回で終わる。
副作用については、治療前に聞いていた話よりわりと元気に過ごせていたので、次のドセタキセルについても大丈夫だろう、と完全に油断してた。

でも確かに薬が変わったら身体の反応も変わるよね。
FECは生まれて初めての抗がん剤経験で、かなり用心してたから
なんとか大丈夫、元気、元気って思ったのかもしれないしね。
聞いておいて良かった。

それと食事のコト。

「タンパク質って大事なのよ~!」

Hさんが熱く語る。
私は「食事療法も頑張ります!」って言っているわりに
そこまでお勉強やら意識やらが間に合ってなくて・・・

『少し痩せた?』

3回目のFECの前の診察でC先生に質問された。

『はい。ほんの少しですけど。でもそれは食生活を見直したからだと思います。今まで肉ばっかりで・・・』

「見直す」という言葉をあんまり深く考えずに答えたその瞬間、私に顔の左側を見せながら診察内容をPCに入力していた先生が、ピタッと手を止めてもの凄い勢いで振り向いた。

『肉も食べなきゃだめよ。乳製品も食べていいの。
バランスよく食べるの!』

あまりの勢いに圧倒されて『はい』って言えなかった。
『ふぁいっ』って間抜けな返事しちゃいました。

C先生がはじめて言った強めの言葉にちょっと驚いたけど、
やっぱりそれだけ大事なんだね、食事。
私は今のところ副作用で食べられない、ということはないのだから
しっかり考えて食べなきゃ。

この記事をまとめている間に、G さんから連絡があった。
当初、紹介を予定してくれていた食事療法のお店は都合がつかなかったので別のお店を紹介してくれるということ、また食事療法についての記事も送ってくれていた。

ガン治療は情報戦です』


数日前に読んだ本に記されていた文字。
私はまだまだ新米サバイバーだが共感した。
標準治療(化学療法・手術・放射線治療)と呼ばれる治療以外にも
さまざまな治療法があるらしい。
高濃度ビタミンC 注射、免疫細胞療法等々・・・

どの治療法を選択するかは、最終的に患者なのだけれども、
なにせ手術も抗がん剤治療も副作用などのリスクが大きいし、
そうかと言って「標準」と呼ばれる治療以外については、
保険が効かなかったりするから、治療費もかなり高額になる。
そうなるとそれだけの効果があるのかどうか、
やはり慎重になってしまうのです。新米の私としては・・・。

だから自分の治療法を決めるためには、まず自分の病気についてできるだけ勉強しようと思う。
検討・選択する材料はたくさんあった方が良いので情報も可能な限り集める。
そして何より、先輩サバイバーやその道のプロの方のアドバイスをもらう。
検討材料は多いほうが良いけど、新米サバイバーの私には
やっぱり情報をうまく整理できなかったりどうしても判断に迷うことも多々あるのよね。

私はたまたま身近に、病気をした先輩サバイバーや食の大切さを伝えるプロがいてお話を聞くことができるけど、たとえ身近に相談できる人がいなくても、同じ病気をした人の会やネットワークというのもあって、相談や情報交換・勉強会をしている場があるとも聞いている。

まだまだ治療は長いので、一度参加してみたいと考えています。

第30話【ノート】

最後の(はずの)FEC療法を5日後に控え、
4月の終わりにしこりに気が付いた日から
今日までの3か月を振り返ると、本当にあっという間に
いろんなことがあったなぁと改めて思う。

この間、自分なりに勉強して
ブログにまとめていたつもりだったけれども、
まだまだ人に聞かれると頭が混乱してしまうことがある。
私自身の頭の整理も兼ねてノートを整理してみる。

がん
人間には60兆個の細胞があるそうだ。
通常、細胞は細胞分裂の時にそれぞれの遺伝子に従って、周囲の細胞と協調しながら自分の役割を果たしている
ところが突然変異をおこした細胞は、周囲の細胞と協調する遺伝子を失ってしまうので、自分勝手な分裂をしだす。
これがいわゆるがん細胞。

正常な細胞は、隣近所の細胞と接触して「定員オーバーかも?」と感じるとそれ以上の増殖はしないが、がん細胞は「平面が一杯なら立体的に増えてやれ!」ともう誰の迷惑も考えず正常な細胞の栄養を横取りしながら際限なく増殖をする。
この勝手な細胞たちが集まった塊が「がん」

抗がん剤
がん細胞と結合し、成長・増殖を阻害したり死滅させる薬。
がん細胞は分裂スピードが早いという特徴を目印に攻撃するので、
正常細胞でも分裂スピードが早いものは区別されずに
一緒に攻撃されて傷ついてしまうことがある。
これがいわゆる【副作用】で、例えば脱毛など。

病期・ステージ
「しこりの大きさ」「リンパ節への転移の有無」
「他臓器への転移の有無」で病気の進行度を示す。
【第6話 診断確定】で記載されている『T2N1M0』は
国際対がん連合が採用している【TNM分類】と呼ばれるもの。
28部位ごとに示されている。

乳がんのTNM分類

サブタイプ
病理検査で調べるがんの特徴、性質。
この特徴によって化学療法が異なるので
ステージとともにチェックすること。
例えば【第7話 治療計画】で出てきたO野の
「ルミナルB型HER2陽性」は抗がん剤、分子標的療法、ホルモン療法を
併用するが、「ルミナルA型」ではホルモン療法が有効とされている。

サブタイプ

セカンド・オピニオン
診断や治療方針について主治医以外の医師に
他の治療法はないか意見を聞くこと。
医者を変える「転医」ではないので、主治医と同じ意見でも、別の意見が出ても、基本的に主治医にその情報を伝え自分がどちらの治療法で行いたいか主治医と相談して主治医のもとで治療する。
セカンド・オピニオンを希望すれば、最初に検査してもらった病院がそれまでの検査資料を貸し出してくれる。
セカンド・オピニオンを嫌がる医師もいるらしいがその医師の対応を見てどう判断するかは患者次第。


最初の病院の検査結果が出るまでに、そこそこ時間がかかるのと自分の病気について何も知らずにセカンド・オピニオンを受けても、ファーストにしろセカンドにしろ、医師の説明が理解できるだろうか。
私は6年ほど、うつ病の治療をしていたが、この時は全く自分の病気について勉強もせず、いわゆる「青い鳥症候群」とか「ドクターショッピング」状態で自分に都合の良い先生をふらふらと渡り歩いてしまった。
結果、完治までにかなりの時間を要してしまった、との後悔がある。


なので検査結果を待つ間にセカンドオピニンを受ける病院の見当をつけて、患者なりに勉強しておいたほうが絶対に良いと思う。
セカンド・オピニオンは保険適用外。

限度額適用認定証
健康保険加入者には、病気や怪我など医療費の負担が大きくなった時に
収入に応じた医療費の払い戻しが受けられる
「高額療養費制度」がある。
ただし、申請する必要があることと、後払いのため立て替えている期間は
お財布が厳しい。
この「限度額適用認定証」を事前に入手して病院の窓口に提示すれば、
請求される医療費は高額療養費制度の自己負担限度額までとなる。

高額療養費自己負担限度額 70歳未満の場合(2015年1月~)

2017年7月28日

区分ア~ウに記載されている数字や、「総医療費」って何?って
私の疑問に答えてくれたのが下記サイト。すごく分かりやすい説明です!
→<医療費のことわかりやすく教えるよ。
元医療事務女子が医療費のことをわかりやすく解説します!>

フローズングローブ(第13話)
手足に抗がん剤がまわると、爪が変色したりひび割れたりするので、
あえて手足を冷やし血行をおさえて薬が爪へ行き届かないようにする。
病院によって用意があるところとないところがある。

クライオセラピー
上記と同じ理由で口内炎予防のため投薬中、氷を口に含むこと。

第31話 

【トータルペイン~全人的苦痛】

「先生、FECも今日で終わりなので、次回以降の治療スケジュールを
もう少し詳しく知りたいです」

生まれて初めての抗がん剤治療の前半戦が今日で終わり、次回からはドセタキセルという抗がん剤とハーセプチンという分子標的薬療法が始まる。
事前に治療計画は聞いていたが、次の投薬も3週に1度で良いのだろうか。
またその後に控えている手術では、どうしても休まないといけない期間が出来てしまう。
今の職場は社長と私しかいないので場合によっては誰かヘルプを頼まなくてはいけない。
そういった調整もあるので、手術のあとの放射線治療の通院についても
早めに確認しておく必要があった。
病気の経過も心配だが、仕事についても心配が絶えない。

また手術についても、全摘出になるのか部分切除になるのか、これは投薬の結果次第によるのだが、その場合によって「乳房再建手術」をするか、しないかの選択が待っている。
再建手術には、ガン摘出と同時に再建を行う「一期再建」としばらく期間を空けてから行う「二期再建」があるらしい。

「再建はやるでしょ?」

C先生の言葉に私は「はい、やりたいです」と思わず答えた。
でも本当を言うとまだちょっと迷っている。
「考えています」と言ったほうが正解だったかも。

私の今の生活を考えると再建は本当に必要だろうか。
技術は上がっている、と言っても、その後のケアやリスクは全くないわけじゃなさそうなのだ。
まだ勉強しきれていないので、むしろそちらの不安の方が今は少し強い。

先日久しぶりに会った友人の先輩サバイバーHさんいわく
ドセタキセルのほうが副作用がキツいらしい。
最後のFEC投薬の時に看護師さんに聞いてみる。
やはりそういう方が多いと話す。

「でも、個人差がありますからね」

そうなのだ。こればっかりは、やってみないと分からない。
でも油断していると、やってきた苦しみに耐えられないような気もするし、かと言って心配ばかりしていると治療前から心労が重なって疲れる。

第2次ベビーブーム世代の私。
高校受験、大学受験、就職氷河期と、競争、競争の連続。
でも競争ばっかりで必死だったからか、よくよく振り返って考えると、目の前の出来事の意味や、それについて自分がどう思うか、あまり深く考えてきたことはなかったかもしれない。
団塊ジュニア世代とも呼ばれる私。
競争社会を生きてきたと言っても、小学生の頃は私も友人もたいてい子ども部屋があって何不自由なく育ってきたせいかどちらかと言うと今までボーっと生きて来た。
けれどもここにきて、今までの人生、なんとなくはぐらかしてきた【選択と緊張】が、「逃がさないぜ!」とばかりに追いかけて来て、見事に捕まってしまった気がする。

先日、ブログを読んでくれた学生時代の友人や元恋人(むふっ)がメッセージを送ってくれた。

「O野は昔から闘っているようなイメージだけど、
強がるところがあると思う。一人じゃないんだよ」

うん。そうなのかもしれない。
このブログも誰かのお役に立てるならってエラそうなこと言いながら書いているけれど、本当は自分のために書いているのかも。
分からないもの、目で見えないものと闘うのは思いのほか、しんどい。
だからせめて勉強して、少しでも【敵】を知って不安になった時、あとから何度でも読めるように残しておきたかった。
勉強している時とブログを書いている時間が一番、落ち着く。
とはいえ、この作業をしていない時にはだいぶ心が弱っている。
みんな見抜いていたか。しかも10代から。
懐かしい顔がいっぱい浮かんで、また目がうるうるする。

結構、いっぱい、いっぱいになってきているかな。
治療の手引きに「トータルペイン」(全人的苦痛)と呼ばれるものが書いてある。
患者には「身体的苦痛」だけでなく、「精神的苦痛」(不安・恐れ・怒り・うつ)と「社会的苦痛」(仕事・経済的事情・人間関係)「スピリチュアルペイン」(人生の意味・価値観の変化・死への恐怖)の4つの痛みがあると解説している。

病院によっては、身体の痛みだけでなく、トータルペインの対応ということで、「緩和ケア」とか「サポーティブケア」といって、医師のみならず(乳がん専門の)看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、カウンセラーさんやソーシャルワーカーさんがチームとなって相談に乗ってくれるらしい。
私の病院にも相談室がある。

私も我慢しないで相談してみるかな。
でも今は、ずっと会っていないのに時間を越えてメッセージを
送ってくれた友人たちが一番のサポートチームだよ。

2017年8月2日

3-4 FEC療法4nd cool

第32話【禁煙中間報告】

3-4 FEC療法4nd cool

2017年8月4日

最初の禁煙はたった9日間で失敗してしまった。

(ここまで我慢できるのだから、1本くらい大丈夫だろう)

この1本であっと言う間に喫煙者に戻ってしまった。
気のせいかもしれないが、タバコを止めていた9日間は胸のしこりも少し柔らかくなっていたような気がしていた。
それが喫煙するようになって、しこりがまた硬く大きくなってしまった焦りもあり、FEC3クール目を機に禁煙外来を利用し再度、禁煙にチャレンジしていた。

今日で再挑戦28日目。
あんなに大変な思いをして手に入れた禁煙薬のチャンピックス。
実は4日目から服用していない。
人間、本当にイヤな事は無意識のうちに記憶から消すような働きがあるのだろうか。

FEC投薬日に服用したからか、悪心は、なかなかにキツかった。
その状態でタバコを吸えばさらに気持ち悪くなって、二度と吸いたい、とは思わなくなるのでは!?とかなりの荒療治をやってみた。

結果的に「二度と飲みたくない!チャンピックス」
と、【狙い】がやや逸れて、いつの間にか服用を忘れてしまっていた。
ただいずれにしても、タバコを吸いたいと思う気持ちも
だいぶ減ってきている。
よしよし。

でもまだ28日目なんだよな。
禁煙成功って3か月が目安と考えるとまだまだ油断は大敵。
特に仕事終わったあととかね。
ビールもダメね。吸いたくなるので必然的に禁酒になる。
それでもって、タバコの話もダメね。
どんなに身体に悪いって話でも、してると吸いたくなっちゃうのよね。

だから今日はこれまでよ。

第33話【低空飛行】

2017年8月21日

12週間に及ぶFEC治療もそろそろ終わり来週からは新しい投薬が始まる。
特に副作用はなく「元気、元気」と思ってきたが、ここにきてなんとなく体調が優れない日が多くなった。
ベットから起き上がれない、というほどではないが、とにかく疲れやすく、何をするにも気力不足で「これから疲れるコトをする」という覚悟と、最短で終わる手順を確認してから作業にかかる始末だ。

これは都内でも37℃を記録した、今年の猛暑のせいなのか、強い薬が段々と身体の中に蓄積されているせいなのか、あるいは両方のせいだからなのか。

自分で出来るコトは自分でやるし、やりたい。
でも人の世話が今は正直めんどくさい。
特別扱いはしてもらわなくて大丈夫。
自分のコトは自分でする。
だからあなたも自分のコトは自分でやってくれ、とイライラするこの頃。

体力や気力に余裕がなくなってきたのかな。
それともモノの見え方、感じ方が変わってきたのかな。

こういう体調や心理状態って家族や友人には話しておいたほうが良いんだろうね。
本人もイライラしているけど、周囲の人も困惑して精神的に疲れるだろうから。
でも職場の人には言いにくいよね。

第34話【ラブレター】

2017年8月21日

8月のお盆明けから名古屋にいる弟夫婦が甥っ子を連れて実家に遊びに来るというので私もパートナーと共に週末に帰省した。
義妹によると私が甥っ子に会うのは3年ぶりとのこと。
久しぶりに会った甥っ子は小学校1年生になっていた。

あんなに人見知りだった甥っ子が、すっかり人懐っこい甘え上手になって
久しぶりに会う伯母はもうすっかりメロメロの、でも一緒に遊ぶ体力もだいぶ落ちてしまったのでヘロヘロにされてしまいましたよ。

幼稚園の数年と小学校の数か月、このちっちゃい男の子なりに世間の波にもまれて成長したんだね。
そしてきっと、あっと言う間に中学生になって大人になってしまうんだね。

「いやいや、お義姉さん、それはいくらなんでも気が早いですよ。
その前にもっと会いましょうよ。」

的確な突っ込みを頂いた。

弟家族が旧友に会いに出かけている間、私はかつて自分の部屋だった場所の荷物を少し整理しようと試みた。

実家には荷物はほとんど残していない。
ただどうしてもなんとかしないといけない物が少し残っていた。

日記と手紙。

残している日記は小学生から中学生にかけてのもので誰某ちゃんとケンカしただの、誰某くんがカッコイイだの、今読み返すと、本当にどうでも良い内容で、それでいて結構、恥ずかしい内容なので開いていない。
でもなんとなく捨てられない。
人に見られたら恥ずかしいので残したくないのだが、
やっぱりまだ捨てられない。

次は手紙が入っている箱。

もっと赤面するものが入っていた。

10代から20代にかけてもらった、いわゆるラブレター。
幸せな頃のもあれば、恨み辛みが書かれた最後の手紙もあった。
恨み辛みの手紙は、当時は腹が立ったけれど今読み返すと胸が痛い指摘ばかりだった。
これがいわゆる「若すぎて」ってヤツか。ごめん。
それにしてもよくこんなに取っておいたね。私。
これもやっぱりまだ捨てられないな。

最後に見つけたのは、母子手帳とへその緒が入った小さな箱と
保育園の頃、母と先生がやりとりしていたノート。
どうも私も甥っ子と同じで、入園当初は内気で人見知りだったようだ。
身体を動かしたりすることも苦手で、
教室の隅にポツンとしていることが多かったみたい。
それが保育園のいろんな行事を通して周りのお友達と仲良くなって、
苦手な鉄棒や山登りなど黙々とできるまで
一人努力する子どもになっていったらしい。
この間の母と先生のやりとり。
どちらが上、ということもなく対等の立場で私を心配してくれて
そして成長を喜んでくれているやりとり。

くぅ。
愛されて育ったんだな。感謝、という言葉しか出てこない。
私も社会に恩返しする年齢になっているのに、できているだろうか。
自分のことしか見えなくなったとき、読み返そう。
だからこれは捨てないで取っておく。

あぁ、結局またどれも捨てられなかった。

ちなみに、保育園のお誕生日カードに
【将来は何になるの?】という先生の質問と私の回答が書いてあった。

私は【看護婦さん(当時の表記)】か【歌手】になるんだって。

3-5 HER,DOCE 1st

3-5 HER,DOCE 1st

第35話【ハーセプチン・ドセタキセル1st】

2017年8月25日

今日、雨が降ると1977年以来の22日連日になります!とワイドショーがやっていた。

ここのところ、突然、雷を伴った大雨に見舞われるので洗濯も外出もなんとなく消極的だった。

今日からドセタキセルとハーセプチンの投薬が始まる。
FECはなんとか乗り越えだけれども、今回はどうだろう。
副作用余りないです!って喜んでいたFECでも
投薬3日間はやはりシンドかった。
起きて背骨と腹筋を立たせておくことがダルかった。
だから、帰宅したらそのままベット行きなのだが、寝込んでしまうと料理が出来ない。
パートナーも料理はするが、それでも数日前から日持ちのしない葉物や調理に手間がかかる食料品の購入はなるべく控えるようにして、調子が良ければ買い足しに行った。
4日目以降は比較的元気なのだが、これもクールを重ねるに従って、少しだけシンドイ日が多くなった。
友人が外出に、と色々と誘ってくれるがギリギリまで体調を見てからでないと約束するのも躊躇ってしまう。

予定が立てられないフラストレーションと、
かつ未知のドセタキセルの副作用に怯える気持ちを抱えながら診察室に入った。

触診のあと、段々とたまってきた疲労感など不調について報告する。
特に副作用で止まるだろうと言われていた生理。
実は3クールまでは普通に来ていたが、4回目でとうとう異常を感じた。

「そろそろ機能障害が出ていると思ったほうが良いわね」

やはりそうか。
最近、イライラするのもホルモンバランスが狂っていらからなのかも。

「それと、この3週間で2kg、体重が増えました。ウエストがキツくて、顔が大きくなった気がします」

「確かに。食事は?」

「ちゃんと食べてます。むしろ食べないと体力なくなるから、
頑張って食べてます。」

「あ、それだ。無理して食べちゃダメ。普通でいいの。とにかく食べろって言う人がいるけど、普通でいいの!」

吐き気止めで飲んでいるデカドロンはいわゆるステロイドなのたが、太りやすいそうだ。
今回からはこのデカドロンが増える上に、ドセタキセルは浮腫み(むくみ)やすい。そこにもって来て、食べなきゃと思い込んでしまう方がやはりいるらしく、投薬の数ヶ月で7kg増えてしまった患者さんがいたそうだ。

素人ながら、そこまで体重が変わると投薬量も変わってしまうんだろな、お金が掛かりそうだなって変な心配をしてしまった。

「ドセタキセルは吐き気は余りないの。アレルギーは今日、出なければ大丈夫。但し3回目から浮腫むかも。筋肉痛もでるから、新しい薬が追加になるからね」

吐き気なし?


先輩サバイバーから聞いた話とだいぶ違うが、もちろん個人差があるので、最終的にはやってみないと分からない。
またか。思わず恨めしげな顔になる。

「でもね、しこりは小さくなってる。効果出てる、良かったね」

第36話【脂肪沈着】

2017年9月7日

不安で不安でたまらない「ドセタキセル」と「ハーセプチン」の副作用。
投薬中にアナフィラキシーショックを起こしてしまう人もいる、とのことで初回は3時間かけて、ゆっくり、ゆっくり身体の調子をみながら投薬する。

「お薬の説明は薬剤師から受けていますか?」
化学療法室の看護師さんが私の不安そうな顔を見て声を掛けてくれた。

(そいういえば、FECの時のような説明は受けてないかも)

ドセタキセルとハーセプチンについては、先輩サバイバーのHさんの体験談とC先生からはザっと聞いただけだ。

(だから不安なのかも)

FECではほとんど副作用がなかったので高をくくっていたのだが、Hさんの話を聞いてから不安で不安で仕方がない。


その気持ちを看護師さんに素直に話した。

それならば、ということで投薬中に薬剤師さんの話を聞きましょう、と手配をしてくれた。

私は根が単純なのだろうか。
あれだけ不安だったのに、薬剤師さんからの説明を聞き終えた瞬間、安心してしまった。

当日、私は朝から(恐らく不安で)あまり体調が優れず、ひたすら寒く、爪の変色を防ぐフローズングローブも見送ったが説明を聞いたあとはうつら、うつらしてしまうほどリラックスしていた。
3時間もかけて投薬するのは初回だけ。
次回からはもっと早く終わる、とのことで一安心。

C先生の言ったとおり、帰宅後も私はアレルギーも悪心も何も出なかった。
FECの時はさすがに投薬直後は寝込んでしまったのだが、今回はあまりに元気で食事の支度やら掃除やら家事まで出来てしまった。
心配して早めに帰宅したパートナーも驚いていた。

さすが、C先生。
決して言葉数の多い先生ではないけれども、しっかり私の体質を見極めてくれているのか、
今のところ先生の言ったとおりだ。

そう、先生の言ったとおり。


C先生の言ったとおりのことがあと2つある。

投薬してから1週間。
たった1週間でまた2kg近く太ってしまった。
なにせ食欲がとまらない。
頑張って食べている、と思っていたのに
このところ食べたくて、食べたくて、食べている。
あっと言う間に顔と肩とお腹周りがパンパンになってしまった。

これはかなりやばい。
すでに手持ちの服が合わなくなってきている。
新しい薬の投薬は始まったばかり。
食事についてはしっかり管理しないと
このまま太り続けたら・・・

というか、すでに人に会うのがちょっと恥ずかしい。

第37話【激痛】

2018年5月4日

ドセタキセル及びハーセプチンの投薬からそろそろ1週目が終わる頃、とまらない食欲に、身体がだんだんと大きくなり、着られなくなる服が増える、という極めて深刻かつ重大な副作用の他は、特になかった。
が、「楽勝!」と思った週末、突然、発熱と全身の痛みがやってきた。
夕刻から感じる痛みとだるさ。

(これがC先生と薬剤師さんが話していた痛みか)

夕暮れが進むにつれパソコンに向かって座っているのがだんだんとキツくなってきたが、それでも前もって聞いていたおかげでまずは冷静に状況を受け止めることができた。
事前に渡されていた抗生剤と痛み止めをうっかり自宅に置き忘れていたのでこれは帰宅するまで我慢しなければならない。
明日の土曜日は予定があったが、この調子ではおそらく帰宅してベッドに入ったら起き上がれないだろう。


帰宅前にキャンセルの電話を入れた。
電話の向こうで心配そうな声を出しているのは後輩のIくん。
彼は役者をしながら、芸能プロダクションのデスク業務を手伝っていた。
彼とわたしは同業だ。
傍から見ると、不器用なほど何事も真面目に取り組むIくんの仕事ぶりが目に浮かんだ。

今日の仕事の片はついていた。
その安心感もあってか時間を追うごとにひどくなる痛みにうめき声がたまらず漏れて机に突っ伏す。


(こういう時、一人スタッフの職場は周囲に気兼ねがなくて気楽で良いな、と心から思った)

案の定、帰宅してから日曜まで、痛みで呻きながらひたすらのた打ち回っていた。
ちなみに全身が痛いので、さすがに前向きな私も「ひでぶ!」で笑いという余裕は今回は全くない。

一人で痛がっているには耐えられそうになく、つい甘えてベッドから状況をFecebookに投稿。
すると、心配する友人や親族からすぐさまメッセージが来た。

とても有難かった。
と、同時に自己嫌悪も感じた。

束の間の痛みをが和らげるため、
親族や友人からの優しい言葉を期待した自分。
こんないやらしい投稿はやめよう。

しかしそんなことを考えるまでもなく、
その後はあまりの痛みが続き、SNSに投稿する余裕はなくなった。
このブログも8ケ月止まってしまい、以降は回想録になる。

第4章 手術

第4章 手術

第38話【退職】

2018年5月4日

ドセタキセルはとにかく身体が痛かった。
そしてあっと言う間に太った。
鏡を見るたびにため息が出た。
治療のための投薬で見た目が変わるほど太ってしまうのは実は初めてではない。
5年前、うつ病の治療をしていた時に処方された薬も体重が激増するものだった。
その後、元の体重に戻すためどれだけの努力をしたか、辛すぎてなのか、加齢のためなのかよく思い出せない。
さらにため息が出た。

人間、見た目がすべてではないけれども、見た目も大事なのは確かで
この頃にはすっかり人に会うのが嫌でたまらなかった。
加えて身体の痛みで、毎日自分のことで手一杯になった。

一人スタッフの職場は、自分のペースである程度仕事ができる気楽さがあったがもうすぐ迎える入院中の業務対応や手術直後は思うように動かないであろう身体を考えると、一人で全てを行う職場で働くことに限界を感じた。

治療を始めるにあたって、いつかは退職しなければならないんだろうな、と感じていた。
だからこの5か月、なんとなく日々の出会いの中でわたしは業務を引き継げる方がいないか探していた。
幸運にも少し前から事務所の仕事を手伝ってくれていた方が承諾してくださったので、手術の3週間前にわたしは退職した。

手術まで2週間。気づくと秋もだいぶ深まっていた。
手術をしたら、当面、利き腕が不便になる。
わたしの家では、力仕事はわたしが担当なのだ。
手術を終え、退院する頃には年末の大掃除が待っている。
掃除は大好きなのだが、今年はほとんどできないだろう。

少しでもきれいな部屋で新年を迎えたかったのか手術や術後の生活への不安を忘れようとしていたためか、
この頃のわたしは、ただただ掃除ばかりしていた。

第39話【パジャマ】

2018年5月6日

手術までの2週間は、告知を受けてから6か月の間で一番、忙しかった。
事務職は退職していたものの、ダブルワークをしていた接客の仕事は
身体を使うことが多い職場だったので運動も兼ねて入院するギリギリまで続けていた。

その合間を縫って、ある資格試験を受験した。
実は挑戦してみたい、と考えていた仕事があり告知を受ける前から試験勉強を始め転職について考えていた。
告知前の計画では、資格を取って、事務職の仕事を続けながら
じっくり転職活動を・・・と考えていたのだったが予定より全く早く事務職を退職してしまったので、退院後、治療と並行しながら何某かの仕事を探さなければならなくなった。

事務所にお手伝いに来てくださっていた方に引き継ぎを打診する際、わたしは正直迷った。
留守の間をお任せするのか、後任としてお願いするのか。
年齢なども含め、治療をしながらの求職は条件的になかなか厳しい。
そもそも転職活動するのに必要な資格が、まだ最低限しかない。
でも、もともと言い訳が多いわたしは、ここで病気と治療を理由に挑戦を先延ばしにするとこの後の人生もなんだかんだと言い訳をして生きていく気がしていた。
それになにより【いずれ転職したい】という気持ちを抱えながら、
これ以上、通院や入院で事務所に迷惑をかけるのは後ろめたかった。
今はいろいろな働きかたがある。
とりあえず今までいろんなお仕事を経験してきた。
つなぎのお仕事はなんでもする。
ひとまず安心して通院治療できる職場で身体と心を整え、知識を蓄え、来たるべきときに備えたい。

そこで、退院後はすぐにでも求職活動を行えるように以前お仕事をさせて頂いた派遣会社のコーディネーターさんに連絡をして事情を説明した。
いずれ転職を考えているわたしには期限がある派遣社員のほうがなにかと都合がよい。
そこで将来的にやってみたい仕事も相談してみたのだが、英語力がないと相当に厳しい、ということを痛感した。

 

もう少し若いか、経験職種であれば英語は仕事しながら勉強してくださいね、ということになるのだが、この年齢で未経験、となると、せめて英語くらいは十分にできてくれ、さもなきゃ書類すら通らない、ということらしい。
やはりそうか。相談して良かった。
toeicなども受けてはいたのだが、なかなか思うようなスコアに届いていない。
ならば入院中は英語の勉強の時間にあてよう、と入院時に持参するバッグに参考書を数冊放り込んだ。

予備自衛官でもあるわたしは<訓練バッグ>というものを作ってある。
予備自衛官は年に1回、訓練に出頭しなければならない。
このバッグは訓練のときに必要な道具や洗面道具・着替えなどをセットしてあるのだが、これを作っておくと、訓練に限らず、いざ、という時、またその他の宿泊を伴う外出にもすぐに対応が出来て便利なのだ。
(プライベートの時には迷彩Tシャツを抜き出す作業が発生するが)
今回もこのバッグを利用するつもりだった。
なので、入院のための荷造りはほとんど必要なかった。

が、一つだけ<訓練バック>には入っておらずかつ、今回の入院で絶対に用意しなければならないものがあった。

【前開きのパジャマ】

パジャマなんて最後に着たのはいつだろう。
最近は色気もそっけもないジャージやスウェットばかりだった。
(だって、急な宅配のお届け時にも対応できるしラクなんだもん)

術後、しばらくは右腕は挙がらない(挙げ辛い)と言われていた。
でも診察や治療もあるので、前開きのパジャマがマストだが、
パジャマを持っていなかったので近所のオリンピックへ買い出しに行った。
この時は出費がまた増える・・・とブツブツ言いながら選んだのだが、

退院後はすっかり

「寝るときはパジャマ以外、有り得ないっしょっ!!」

パジャマってこんなにリラックスできる衣服だったんだな。
すっかり、忘れてた。
入院中、それまで治療だ、転職準備だ、ってガツガツしてた気持ちも
パジャマ着て横になったらすっかり緩んでリラックスできた。

ありがとう、パジャマ。

おかげで英語の勉強はほとんどできなかったけど。

第40話【入院】

2018年10月8日

自分の闘病生活の中で経験したことや学んだことが少しでも誰かの参考になれば、と思ってできるだけ細かく書こうと思って始めたブログだけれどもすっかりご無沙汰してしまった。
むしろうんともすんとも言わないブログに、具合が悪いのではないか?と周囲を心配させているだけなので一気に入院初日まで話を進めまする。

私がかかっている病院では、手術の前日に入院すれば良かったのだけれど、わたしの術日の前日は祝日だったので(事前の検査ができない)、2日前に入院することになった。

不思議なことに【手術】は不安だっだけれど【入院】はちょっと楽しみだった。
だって良いほうに考えれば、食事は作らなくても出てくるのですよ!
そして誰に文句を言われることもなく終日ベッドで堂々と
眠っていられるんですよ!
入院直前が忙しかったので、やっと休憩できる、と期待しちゃうでしょ。

私の部屋はフロアの端の6人部屋。
事務スタッフに案内されて部屋に入ると、左右に3つづつベッドが並んでいてそれぞれがクリーム色のカーテンで仕切られている。
私のベッドは左側の出入り口に一番近いベッドだった。
小さな冷蔵庫と、有料のテレビが備えつけられている。

これにはテンションが上がりまくった。

「個室っ!!」

6人部屋をお願いしたとき、なんとなく自衛隊の訓練時の記憶が強かったのか、ベッドだけが6個どん、どん、どん、と置かれているだけのちょっと冷たそうな真っ白い部屋を想像していた。
だから暖かいクリーム色の壁とカーテンで仕切られていて、プライバシーがあることに異常に興奮してしまった。
6人部屋だけど私の中では立派な「個室」なのだ。

予想以上に良い環境に気をよくした私はさっそく、
ご一緒する部屋の方に挨拶を!と勢い込んだが・・・

カーテンが閉まっているのでよく分からないが、それぞれの体調でおやすみになっているようだった。
よく考えればここは病室なので当たり前だ。
休んでいる人をわざわざ起こすのもどうかと思うのでカーテンが開いた時やらタイミングがあったときやらに
ご挨拶すれば良いか、ということして荷をほどいた。

 

この日の午後は術前検査があるのだ。
それまでに手術の時に担当してくださる麻酔科の先生が来て
お話しがあるとのことだったのだけれど、
先生がお忙しいのか、なかなかお見えにならず
付添で来てくれていた母とふたり、ただただボーとベッドに腰掛けて
母はこれからの入院生活について、
私は1回目の病院食となる昼食について、それぞれ思いを馳せていた。

第41話【術前検査】

2018年10月8日

術前検査は【超音波】【MRI】をすることになっていた。
手術の前に最終的に検査をして備えるのだそうだ。
それぞれ何度か経験しているので特に不安はない。
通常は待たされることも多いのだけれど、入院患者ということで
外来の検査が終わるまで病室で待機できた。

朝の10時に入院し、麻酔科の先生の話を聞いて同意書にサインをし、昼食を食べただけなのだけれどなんとなく眠くて仕方がなかった。
ベッドで横になっていると看護師さんが声掛けに来てくれたので寝ぼけながら検査を受けた。

MRIは特に問題なく終わった。
あとは超音波検査。これもいつも通り終わるだろうと思っていた。
ただ今回、私の検査に立ち会っている検査技師の方がいつもより多い気がした。
たまに若い技師さんや海外の学生が【研修】しているからかな、と思った。
その場合はなんらかの断りとかいつもあるのだけれど。

ま、いっか。
なんて思っている間に右の検査が終わった。
この日は手術の箇所を示すためにペンで印を描かれる。

「じゃ次は左をチェックしますね」と検査技師の方が言った。

思わず「はい。」と答えたけれど(?。左も?)

手術するのは【右胸】なんだけれど。
念のためなのかな?
いつもの検査でも左右行っていたからあんまり何も考えていなかった。

すぐ終わると思った左胸の検査。
いつもより多い検査技師さんたちが画面を見ながら何やら話し込んでいて
右側より時間がかかっている。

いくらなんでも時間がかかり過ぎじゃない?
割とのんびりしている自分もさすがにイライラしてきた頃に、

 

「じゃ、マークつけていきますね」

 

と言われた。

(?????)

そのマーキングもえらく手こずっているようだった。
画面を見ているベテラン(と思う)技師さんの指示に従って最初は若い人が印を書いていたのだが、意図した箇所ではないのかなんども修正して、結局ベテランの技師さんが書くことになった。

(もしかして、勘違いしている?)

ぎょっとした。
なんでか分からないけど、手術の必要がない左胸が切られてしまうかもしれない。
いわゆる「医療事故」?

急に怖くなってきたので、胸をさらしたまま勇気を出して言ってみた。

「あの、手術をするのは右側なのですが」

言った瞬間、検査室の場が固まったのをハッキリ感じた。

少しの沈黙のあと、ベテラン技師さんが戸惑ったように、でもできるだけ私を気遣うように確認した。

「C先生からお話しは伺っていないですか?」

状況がよく理解できなかったので今日の流れを話してC先生にはまだ会っていないことを伝えた。
若い技師さんが部屋を出て行きどこかへ連絡を取りにいったようだ。すぐに戻ってきた若い技師さんがベテラン技師さんに耳打ちする。

「このあとC先生がご説明しますからね。
とりあえず印だけつけておきますからね」

どうして手術の必要がない左胸にも印をつけるのか、
その理由はそこでは話してもらえなかった。

第42話【衝撃】

2018年10月9日

C先生からの説明は外来診察が終わってから、とのことだった。まさか新たな話があるとは思わなかったので、検査の前に母は帰していた。

何の話だろう?

入院の2週前にも検査があった。それは手術の方針について最終的な決定をするためのガンの状態確認だった。その検査の時も超音波検査はものすごく時間がかかった。何度も何度も確認していた。

「お待たせしてスミマセンね。でも右脇にあったガン(転移していたもの)が見つからないんです。ハーセプチンが効いて消えたのかもしれませんね。頑張りましたね。」ようやく確認作業に納得した検査技師さんが、明るい声で状況を説明してくれた。

もちろん、最終的な判断はC先生がするのだろうけど、私は少し舞い上がった。

(リンパ切らなくても良くなるかも)

右胸のガンもかなり小さくなっていると言う。切る箇所は当初の予定より小さくて済むかもしれない、と小躍りしていた。
だから新しい話が何なのか、さっぱり見当がつかなかった。

検査が終わって病室に戻ると、間もなく夕食の時間だったけれど、なんとなく手持無沙汰だったので病棟を探索した。

フロアには複数名部屋と個室がそれぞれいくつかと、ナースステーション、カンファレンスルーム、面談室なるものがあった。カンファレンスルームで執刀の先生ほかチームのメンバーで手術の方針について話し合うらしい。私がウロウロと探索しているときも会議があった。遅れて入って行った先生の背中で閉まりかける扉から、沢山の白衣を来た先生方が前方に掲げられているレントゲン写真を見つめているのが見えた。

18時の夕食時に、仕事を終えたパートナーが、シッカリ自分の食糧持参で見舞いに来た。

「カクカクシカジカ、何だか新しい話しがあるらしいよ。モグモグモグモグ」
「じゃぁ一緒に聞くよ、モグモグモグ」

夕食を終え、治療に来ているのか、旅行に来ているのか分からないくらい二人でマッタリし始めた19時頃、C先生が病室に見えた。そして、私とパートナーは先ほどの探索で見つけた面談室に誘導された。面談室は3人が目一杯な広さだった。

「単刀直入に話すわね。」

先生は席に着くなりそう切り出した。

「左胸に腫瘍が見つかったの。とても小さいので今まで見つけられなかったの。」

一瞬、先生が何を言っているか分からなかった。

7ケ月前、私は両側乳癌の疑いでC病院を紹介してもらった。
左胸については7ヶ月前に乳癌の疑いがある、と言われたB病院で確かに指摘があった。でも結局乳癌の診断は右胸と右腋下の転移だけで、左は何も言われなかった。左はずっと昔に【乳腺症】と言われたことがあったので、今回も大丈夫だったんだ、と思い込んでしまった。
だからあまり左については確認をしてこなかった。
C先生によるとその腫瘍は、2週前の検査で超音波検査の先生が気付いてくれたらしい。良性か悪性かは切って見ないと分からない、でも可能性として悪性である確率が高いと超音波の先生が頑として主張しているとのコトだった。
きっと先ほど覗いたカンファレンスルームで、私のレントゲンやエコー写真を前にたくさんの先生や技師さん、看護師さんが意見を戦わせてくれたんだろう。

「それでね…」

腫瘍のある場所が難しいらしく、術後の形は余りキレイにはならないかもしれない、とのことだった。

この2週間、抗がん剤とハーセプチンが効いて、手術で切るトコロは小さくて済むと勝手に思い込み、やれ嬉しや、とパートナーと勝手に喜んでいた。
だから余りにも予想しない展開に頭が久々に真っ白になった。
そして、40歳も半ばにして恥ずかしいのだけれども、ジワジワと視界が滲みだした。
なんとか溢れ出るものがこぼれないような姿勢を取りつつ、話を聞く。

「手術に同意しますか。」

明後日に手術を控えているというのに、今さら拒否できるのだろうか。
いや、拒否はできるだろう。そのための説明と確認なのだから。
でも動揺しまくっている私の頭の回転は止まりかかっている。
この時、パートナーが同席して話を聞いてくれていて本当に良かったと思う。
切らなくても済むかも、と淡い期待を抱いていた右のリンパについても廓清するとのこと。
(重要な説明の時には、【冷静に話を聞いて判断できる】家族やパートナーが同席することがとても大切だとつくづく思う。)
フリーズしている私の代わりに手術の細部を何点か先生に確認して、どうするかと問うように私の顔を見た。


私にはこのまま手術を受けるしかないように思えた。

面談室を出た私は、パートナーに抱きかかえられるようにしてヨロヨロと病室に戻ったことを覚えている。

第5章 新たなる闘い

第5章 新たなる闘い

第43話【3年後の今】

2021年12月11日

最後の投稿から3年経ってしまった。

人生はじめての手術の前日に、別の腫瘍があったことを告げられた瞬間からいろいろなことがジェットコースターのように起きていた。

それを理由にブログが止まっていたけれど、読んでくれている方が心配する。


わたしもそうだったのだけれど、自分の病気のことを勉強するために医学本のほか、闘病中の方のブログを読みまくっていた。

それが「ある日」で止まったまま更新されていないと、言いようもない不安があった。

だからまた再開します。

第44話 6年後

第44話 6年後

「最初の告知、6年前の今日だったのか」

Facebookが、病院のベッドで寝ている私に過去の思い出を知らせてくれた。

2年前、ブログを再開すると書いたきり、結局1日も更新することができなかったのは、仕事も生活もすっかり変わり忙しくなったことと、なにより新たな闘いが始まっていたからだ。

​この6年間で私は様々な形で、がんサバイバーの方と知り合うことができた。

SNSであったり、職場であったり、旧い知人が罹患した、という連絡もあった。

【がんサバイバー】は、治療中の人も含め、今現在、存命している人を指す言葉。

だからサバイバーによって現在の健康状況は異なる。

それでも、今、生きている、ということが私には何より心強く、支えになっていた。

「今、こんな治療してます」

サバイバー仲間のアキラさん(仮名)が、メッセンジャーでメッセージを送ってくれた。

アキラさんの治療はかなりきついと想像に難くなかったが、前向きなメッセージだった。

アキラさんと知り合ったのは職場。
アキラさんは団体の代表理事をされていた。私はその事務局として派遣で働いていた。

アキラさんが闘病中であることは誰もが知っていた。

とても明るい方で誰にでも優しいが、自分は気軽に話しかけることはできない。

それがこんなメッセージをやりとりするようになったのは、会議の準備をしていた時に、たまたま二人だけになったので、思い切って自分の病気を話したことがきっかけだった。

その後、アキラさんも私も団体を離れたけれど、Facebookなどで治療報告をされているのを拝見していた。

前向きなアキラさんの治療報告は、まだ5年は続く乳がんの経過観察にある私の道標でもあった。

そのアキラさんが去年亡くなった。

それを知ったのは、団体会員さんのFacebookだった。

衝撃以外の何ものでもなかった。

すぐに事務局で一緒だった仲間に連絡を取るも、週末だったこともあり詳しい情報がまだない、とのことだった。

そしてこの後、別のサバイバーさんも再び治療が必要になった、という投稿があった。

とても優しくいつも私を励ましてくれるのに、わたしはどうしてもメッセージを送れなかった。

痛みや脱毛を伴う抗がん剤よりも、毎日1か月通い続けた放射線治療よりも、何よりも私に大きなストレスを与え落ち込むことが増えた。

私は乳がんの術後3年の経過観察中に見つかった、2度の【肺がん】手術と遺伝子検査結果を受けた婦人科の【腫瘍】摘出手術を行い、通院しているところだった。

前向きに受けたきた手術のはずが、とても虚しく感じた。

誰かの役に立てるなら、と始めたブログだったが本人がこれほど落ち込んでいては読んでいる人を滅入らせることしか書けない。

それが「再開します」と言ったもののブログを更新できなかった理由。

そして今回、私は3度目の肺がんの手術をした。

今回の手術はあまり気乗りしなかった。

いつまで続くのだろう。何回繰り返すのだろう。

でも今は、前向きに治療を続けようと思っている。

思わず不安を投稿したFacebookであたたかいメッセージをたくさんもらった。

いつかの診察で「前の先生は、麻酔が効く前に顔見れなかったから不安でした」ってフテクサレ気味に放った言葉。それをしっかり覚えていてくれた現在の先生が、「来たよー」って急いでオペ室に入って来てくれたこと。

どちらも嬉しかったし、急に自分が恥ずかしくなった。

​なんて子どもなのだろう。

辛いのは自分だけではないのに。

 

このブログは、自分の記録と、誰かの治療の役に立つなら、と始めたこと。

幸か不幸か、ネタはまだまだ続きそう。

書かなければ。

闘病はつらいこともある。でも楽しいこともある。

病気したから得られることもある。

ですよね、アキラさん。

2023年5月20日

第45話 右処置禁

第45話 右処置禁

肺がん手術のため、5度目の入院をすると、(おそらくどこの病院でもだと思うが)すぐに患者確認ができるように生年月日と氏名が印字されたリストバンドを看護師さんに装着される。

これは、患者の取違いを防ぐためだが、これを付けられると「あぁ、入院したんだなぁ」と実感する。

病室に案内され、入院中の説明や事務員の方の入院手続きがある。今回、4人部屋に通されたのだが、まもなく希望していた6人部屋のベッドが空く、ということで荷物をほどかず待機していた。するとほどなくして主治医のナカタ先生(仮名)が訪ねて来てくれ、体調確認と手術をするほうの手に油性ペンで大きな黒丸を書いた。

これもどこの病院でもしているかと思われるが、手術箇所の間違い防止のためだ。

「今日シャワー浴びるとき、黒いからってゴシゴシ洗っちゃダメなのね」

ちょっとボケたつもりだったのだが、まだ若いナカタ先生は

「うーん。落ちたらまた書くけどさぁ」

と、真面目に受け取られてしまった。

その後、6人部屋に案内された。私が一番最初に確認すべきことは、枕元に貼付される【申し送り】と【ベッドの位置】だ。

私は6年前の乳がんの手術で右腋窩リンパ節郭清をしている。

乳がんは腋窩リンパ節に転移してから全身に広がることがある。私は右腋の下への転移が見られたための処置だった。

郭清をした腕は、採血・血圧測定は行わない。 リンパ節を郭清するとリンパ液の環流が 低下し感染に対する抵抗力が落ちるため,腕や手指の傷口から感染が拡がるリスクが高まると言われているからだ。

(私の郭清した腕には、後遺症としてリンパ浮腫が起きているが、これだけでも1つの記事になるので、また別の機会に)

そのため、6年前の術後、私は主治医のC先生に、

「今後、病院で処置をされるときは、郭清のため右処置禁、て伝えてね」

と説明を受けた。

ということで、初めて担当してもらう看護師さんや入院時にはこの【右処置禁】が申し送りしてもらえているか、またそうなると点滴などの処置の際にベッドの左側を空けておいたほうがやりやすいだろう、と位置を確認するようにしていた。

たまに、入室した時点でデカデカと【右処置禁】と書かれた紙が貼付されていることもあるのだが、今回はない。

まもなく担当の看護師さんが見えるので、これは伝えておこう。

問題はベッドだ。

4人部屋からの移動は、ベッドごとの移動だった。6人部屋の1スペースは、4人部屋のそれに比べて狭い。

先ほど看護助手さんが運んでくれたのだが、「冷蔵庫が開けられないと不便よねぇ」とその狭いスペースに、向かって左側にある冷蔵庫の扉が開けられるよう、思い切り斜めに入れてくれたのだ。

どのみち明日の手術時、ベッドは回復室からこの部屋に私を運ぶため、一度動かされるのだが、今日もまだこれから麻酔科の先生方や薬剤師さん、採血・血圧測定で看護師さんも来る。

毎回、「なんで?!」と失笑されるのが目に見えていたので、お心遣いはありがたく頂戴しつつも、荷物をほどいたあと、まっすぐに直してもらった。(多分、ストッパーを解除すれば良かったのだが、分からず押してもビクともしないので呼びに行った)

いろいろ落ち着いた14時頃、看護師さんがシャワーの希望時間を確認に来た。

術前に身体を清潔にするためだが、術後はしばらくシャワーも使えないので大切な30分だ。

希望の時間の予約が取れました、と戻って来た若い看護師さんがニヤニヤしながら

「手の黒丸、気になると思いますがゴシゴシ洗って落とさないでくださいね」

だって。

​やっぱり、ここボケたくなるよね。

2023年5月21日

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